2007年8月31日金曜日

水出し麦茶

残暑の厳しかった事を忘れるような今日の曇り空。来週からの天気はあまり芳しくないようで、ドンドン夏から遠ざかります。

例年になく暑かった夏。たくさん麦茶を飲みました。
幼き頃は母親の煮出した麦茶でした。できたての麦茶は、暑い夏にはますますもって暑く飲む気になれませんでしたが、それが冷えた時、今の水出し麦茶には無い香りがありました。手間がかからなくなって喜ばしい反面それが味気ないものになっているのかもしれません。

幼い頃の暑い夏の定番は「冷やしあめ」でした。 北海道には無さそうですが、その頃通った「あてもんや」(クジ屋、駄菓子屋)の店先で、ガラスのコップにナミナミ注いでもらって1杯10円。乾いた喉を潤すには最高の飲み物でした。

「あてもんや」にはクジに、駄菓子、夏でもその横でたこ焼きを焼いていました。
子供の社交場「あてもんや」。 北海道には皆無のお店ですが、大阪あたりでももうないいやろうねえ。

2007年8月27日月曜日

9月8日は何の日

車社会になったとはいえ、新得町は鉄道の町です。 あちこちで過疎化が進む中、この町から駅が無くなったら、特急列車が停まらなくなったら、さらに過疎化に拍車がかかることは間違いなしです。

新得町民しか知らない。いや町民も知らなかったりして・・・その日は、新得駅ができた日。

そして2007年9月8日は100周年です。

90周年の際は新得駅からも「90年のあゆみ」という冊子を出していて、前斉藤町長さんを先頭に記念式典もやられたようです。

100周年。楽しみだなあ!
90年で頑張ったものだから、現浜田町長さん大変ですね。
「ソバ祭り」とタイアップしてなどと、ショボイイベントなんか企画していたらブーイングの嵐間違いなしですね。何せ100周年です。



でも、それどころか100周年のイベント話すら聞こえてきませんね。 もしかして・・・ 何もしないの?


新得駅100周年を期に「鉄道の町」から「ドケチの町」宣言かな。

2007年8月14日火曜日

2007年8月12日日曜日

川湯温泉の公衆浴場

川湯温泉と言えば公衆浴場です。
もう、20年くらい前に行ったきりで、久しぶりに行ってみたら、私の記憶の公衆浴場とは違っていました。 確か木の床だったと思ったのですが、もしかしたら、改装された(といってもかなり前)の駅前の公衆浴場と勘違いでしょうかね?
それにしても脳裏に浮かぶは、あの時湯船につかっていたおじさんの身体の白い事です。 あれは、酸性度の高いこの温泉に毎日つかっているからなのか。これだけ酸性度が強いとアトピー性皮膚炎に効きそうです。
その前に慣れないと湯アタリするかな。


どこのどなたか知りませんが、好きやなこの写真。
川湯温泉公衆浴場

じゅん☆ブログ

2007年8月1日水曜日

公平って・・・

公営の団地の中にあった小さな公園でした。
覚えているのは公園の真ん中にすべり台があって、それが草野球をする子供にはとても邪魔だったことです。 とはいえ、野球をしない時には結構そのすべり台を利用していて、滑るという直接的な行為だけでなく、「鬼ごっこ」などで隠れたり逃げたりする時にも使ったものです。

たぶん始めてした野球はこの公園。ふにゃふにゃした軟式テニスのようなゴムボール。バットなどありませんでした。グーにした手がバットでした。それでも2階建ての、長屋のような住宅の屋根を越えて反対側の道まで飛ばす少年もいました。
小・中学校の上級生も下級生もいっしょになってした草野球でした。お兄ちゃんは厳しいルール。小さい子供はそれなりのルールで・・・。その公園だけの特別ルールでしたが、皆それなりに楽しんでいました。

==========

子どもと大人がスポーツ対決をするときに、完全に自由なルールだったら子どもが勝てるわけがない。大人が勝たないように手心を加えるっていうのはおかしな話だけど、そこに特別なルールを投入すると、大人と子どもが対等感をもって戦える。
 − 週間金曜日 No.664 「国会劇場」と「私たちの日常」 倉田真由美 から

少子化で新得中学校の体育祭が同学年クラス対抗から全学年クラス対抗になったのはいつからだろうか。
今の体育祭は「勝ち負け」は重要な要素ではないようですが、対等感のない対抗戦って楽しいんだろうか。