2008年4月27日日曜日

JR全線 全駅下車の旅

「明日の朝は5時には出発したいのですが、・・・」
「朝食を置いておくので勝手に出て行って・・・」
ユースホステルでの、多分、中学生とペアレントさんの会話です。

後でペアレントさんの聞くと、全国の国鉄(まだJRでない時代でした)の駅の入場券を集めているようで、その日も一番遅く宿に到着した模様でした。まだワイド周遊券もミニ周遊券もあった時代です。

誰よりも早く旅立ち、誰よりも遅く到着する彼ら鉄チャン。
その当時、なるべく早く宿に到着し、なるべく遅く宿を出発するフトドキモノの旅行者だった私には、到底理解のできない、なかなか近寄りがたい存在の彼らでした。

最近、「JR全線 全駅下車の旅(著者 横見浩彦)」を地元図書館で見つけ読みましたが、今考えると、鉄チャンや鉄子さんのやることは、それ自体にさほど興味はないもの、彼らの「ぶれない」行動には敬服します。
やっぱりそのくらいやってこそ、胸をはって達成したと言えるのかもしれません。

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 駅といえば、ゴールデンウィークに入って北海道の道の駅スタンプラリーがスタートしたそうですが、増えたとはいえ100駅を超えたところでしょうか。
思うに百名山に象徴されるように、日本人はつくづく100という数字が好きなようで、これがもう一桁違うとかなりの覚悟が必要なのでしょうが、適当に困難 で達成感のある数字だからでしょうか。(まあ、テストで100点は嬉しいものの私にとってはかなり難しいものですが・・・)

道の駅スタンプラリーも挑戦するなら、北海道などと島の中だけで挑戦するのではなく、日本全国の道の駅スタンプラリー制覇に挑戦は如何でしょうか。燃料高騰の折、大変でしょうが・・・。

でも、鉄分の多い人はきっとしているんやろうなあ。

2008年4月18日金曜日

杉 みき子

理想社会現実のためにつき進んでゆこうという充足感はもちろんあったにちがいないが、それとともに、無意識にもせよ、そのためには何をしても許されるとい う、危険な自信も胸にきざしていたのではあるまいか。高いところから下界を見おろすという行為は、時として、人を自ら神と思いあやまらせるおそれをはらん でいる。
   --金谷山頂にて    (赤井景韶 あかいかげあき) から

生活が便利になるのは、もちろん歓迎すべきことで、ことに雪害をふせぐ面では、もっと便利になってほしいこともたくさんある。しかし、いまよりずっと不自由だった時代の人びとの心にあった大らかさを、それとひきかえに失ってしまうのはなんとしても惜しい。
   --友あり 遠方よりきたる  から

敗 戦によって自分たちの生活はずいぶん変わったけれども、ものの考えかたの方式は、すこしも変わったいなかったのだ、ということである。つまり、戦時中は、 戦争に協力せよと言われたからそれに従い、おなじように、戦争が終わってからは、こんどはデモクラシーを学べと言われてそれに従っていたにすぎなかったの だ。
   --遠い山に日があたる  から

雪おろしは厄介な仕事ではあるけれど、ひと冬に一度ぐらいは、屋根にあがるのもわるく ないと思う。すこし大げさかもしれないけれど、人間の手でなければできない仕事が、この地上にまだのこされているのはありがたい。そして、ほんのスコップ 1ぱいぶんずつの雪を根気よく投げ捨てつづけることによって、あのぼう大な量の屋根雪がついになくなってしまうのをこの手でたしかめることは、人間の力に 対するささやかな信頼と勇気を、私の心に新しくよみがえらせてくれるのである。
   --雪おろし  から

やはり住宅というもの は、そこに住むに人間があってこその存在であり、その家の表情や魂は、あくまで住人との合作によって生きつづけるものであろう。人間はたえず変わってゆ き、人間が住んでいる間は、家もそれ応じて変わってゆく。人間がイチヌケタとばかり飛び出してしまったあとは、家はひとりで変わることができない。いつま でも、住み手に見はなされた時点のままで、ほろびるまでの年を経る。
   --時を打たない時計  から

塾などわすれて、遊べ遊べ。子どもの声こそ、街が生きているしるしである。
   --引っこしのあと  から

旅 というのはやはり、地上をトコトコ、歩けばいちばんいいのだろうが、そこまでは徹底しなくとも、列車の窓から見える家のつくりや畑の作物のようすが、土地 によってすこしずつ変化してゆく過程を味わい、乗り降りする人たちのお国ことばの移りかわりを楽しみながら、ていねいに移動してこそ、ほんとうに「はるけ くも来つるものかな」という旅の実感がわくのだろう。
   --雲の上のおのぼりさん  から


杉みき子オフィシャルサイト

学びの学校づくり

学びの学校づくり 愛知県犬山市立犬山北小 編 から

子どものあるべき姿は、それをめざす子どもたちに考え出させるのがよい。どんなに立派な「子ども像」であっても。教師が考えたものであれば、子どもにはその存在が遠い。

学 校は、もともと子どもの願いや思いを叶えられない場所である。学校行事などを計画し、あたかも子どもの夢を実現させているかのように錯覚している。日常の 学校生活を見ると、安全管理を優先するあまり、子どもたちの自由な発想を拘束している。このことを一番知っているのは子供たちだ。

私は、 子ども像に次のような思いを込めている。大人の常識から足を踏み出さないことが、あたかも安定した人生を歩めるのだという錯覚に惑わされないこと。少しで も親を乗り越えてこそ人類が栄えることを認識し、新しい分野や困難な道に挑戦してもらいたい。また、人に対する優しさや親切心をもつことは、自己の人間形 成に思いやりの心として影響を与えることを知り、厳しい人間社会を生きぬく術を身につけてもらいたい。 -- 校長 加地 健 から

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B君のお母さんも、「確かにこれまでの通知表は、成績のよい教科かよくない教科かがわかるけれど、どこをどうすればよくなるのか、何が足りないのか、どこをどうやって直せばよいのかわからないですよね。」  -- 1年生の授業 から


保 護者の中には学業成績に目がいき、「勉強しなさい」と言うことがあっても、「手伝いをしなさい」と言う人は少ない。テストの点数に気を配ることも必要だ が、私は、気持ちのよい挨拶や、「ありがとう」「ごめんなさい」「遊ぼ」というような言葉で気持ちを伝え、人とうまく関わりながら学校生活を送っているか 否かということのほうが重要だと思っている。社会で自立して生きるということは、人と関わっていくことだからである。  -- 特別支援教育は出会いから  から


大人になって社会に出たとき、一番必要なのは「生きる力」。
人には自分と違う感情があること。
失敗してもやり直しができること。
一つのことにこだわることは悪いことではないこと。
気持ちを言葉で伝えられると生活しやすくなること。
感情をコントロールできるようになること。
ルールがあると便利なこと。
知らないことを知るのは楽しいということ。  -- 不登校だった息子が教えてくれたこと から


「参 加させられる」北小の保護者は、はじめは半強制的に学校活動に参加させられる。しかし「参加させられる」が続くと、学校に行くことが習慣となり、当たり前 となる。自然に能動的に学校活動に参加するようになる。保護者が学校に行くことに抵抗がなくなり、いつでも気軽に子どもたちの真の学びの姿を見られるよう になるのである。何よりも保護者が。北小の一員として学校に愛着を持てるようになる。これこそ当たり前のすごさである。  -- 学校は教師と保護者の両 輪 から


昔の風景は、先生もよくご存じだと思いますが「これわかりますか」と言って教師が難しい問題を出しますね。だれも手を挙げない。一人だけ手を挙げる。
(略)
家 へ帰れば、よくやったとご褒美を渡す。学び合いの教育では、もしそういうことをやったら、叱りなさいと僕は言っています。あなたは困っている子がこんなに 全部いるのに、一人だけいい子ぶって手を挙げるのか。困っている子が二十人いたら、二十人に教えてやることがあなたの務めだよと。これを学び合いの授業の 風景の中で親に学んでほしい。親自身も困ったら、一人で考えるんじゃなくて、先輩の・・・。   --  学校はここまで変わる 尾木 直樹/加地 健

2008年4月6日日曜日

人にシッポがあったら

さすがの私も、はじめ見たときは言葉を失った。まるで廃屋、地震でもないのに身体が傾く。床が抜けているのだ。旅先で知り合った同じサイクリストの彼は、信じられない様子。
彼は私に騙されて?沖縄に入る前についてきたのだ。しかし、すぐその空間にも慣れた。

もう一昔以上前の話。今は知らない。

鹿児島県の最南端の島沖永良部島はほとんど平坦な島。そこにあるユースホステルで1週間、ただ青い海だけ見て過ごした。
何も無かった。でも時間だけは充分あった。

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ある晩、サイクリストの彼が「今でも人にシッポがあったら面白いやろうなあ。」と、言い出した。
何を言い出すんや?と思ったものの、結局その話でペアレントさんと3人で夜遅くまで話をした。 (悲しいかな、もうかなり前のことで詳しい内容が思い出せない。)

次の日の朝、テーブルに紙切れが置いてあって、そこに、昨晩の話のことが書かれてあった。 国語の先生になるはずだったペアレントさんの文章だった。

その時、話すことも書くことも苦手だった私は、どうすればあんな風に文章が書ける様になるのか尋ねてみると、 「目の前に映る状態をそのまま書く練習をしてごらん。」と言われたのだが・・・。

そして練習をしない私は、未だにあの時の文章に近づけないでいる。

あの紙切れもって帰ってくればよかったなあ。


あのペアレントさん元気しているだろうか・・・。