2015年12月6日日曜日

常任理事国

アジア諸国からは、さらにはほかの地域の国ぐにからも、「アメリカのうしろだてを利用して、戦争の賠償も軽くすませ、そのうえそれをろくに自覚もしていないまま経済大国になった国が常任理事国になったところで、アメリカのいうままに動く理事国がひとつ増えるだけだ」。とみられているかもしれない。

--- 小熊英二 「日本という国」 から 

2015年12月2日水曜日

シャッターを開けるヒント

あいつはここの人間じゃない。六本木にオシャレなオフィスを構えて、夜な夜な銀座で豪遊しているんだ。幕悦には月に一、二度しか来ない。あいつにとって、この町は金儲けの道具に過ぎないんだ。そんないい加減な部外者に、負けるわけがないだろう。おれたちの町のことを一番真剣に考えているのは、ここに根差したている、おれたち自信じゃないか。

琴江さんは『顧客回転率が悪いという言い方ではなく、顧客が居心地がよくて幸せを感じているから去ろうとしないと言ってほしい』と答えた。さらに、『うちは託児所じゃないし、正規の保育士もいない。ある日、顧客が困っているのを見かねて子どもを預かったら、いつの間にか大勢になっていただけ』と言った

「おもてなし」ばかりでなく、客との「おつきあい」も重要なポイントだと多岐川は強調した。この「おもてなし、おつきあい」を面倒と捉えるか、楽しめるかが交流戦略の成否を分けるポイントらしい。

経済とか資本主義とか、そういうものだけを重視するなら、田舎は絶対に都会には敵わないんです。

--- 黒野伸一 『脱限界集落』 から

2015年11月3日火曜日

旅に

旅に出たいと思うのです
旅に出たいと思うのです

機械だらけの部屋を捨て
埃まみれの自転車も
今では奏でぬ楽器を置いて
旅に出たいと思うのです

時間が無くて出れないと
お金が無くて出れないと
物の溢れた部屋の中

すっかり忘れていたけれど
何もなかった部屋の中
時間が無くても出た旅を
お金が無くても出た旅が
すっかり忘れていたのです

旅に出たいと思うのです
パンツ3枚 靴下2枚
あれば
旅に出れるとおもうのです

2015年10月8日木曜日

新聞広告やテレビCMも

「新聞やテレビは政府にモンクばかりつけている」と、新聞やテレビにモンクをつける政治家がいる。 そりゃ当たり前だろう。ジャーナリズムのいちばん大切な仕事は、みんなの代わりに権力をチェックする“見張り番”である。
  --- やんちゃの精神(天野祐吉のCM天気図 2007年3月26日)から

2015年10月6日火曜日

こんどの総理

「アメリカって国は、いつも出張して戦争している。あの9月11日のテロで、また戦争。犠牲になるのは、普通の人間ですよ。冗談ではない。前の総理の小泉純一郎さん、なんで自衛隊をイラクに送ったんだろうね。アメリカのドンに言われるままでしょ。彼は戦争を知らない。悲惨さ、怖さ、むごさを。日記を読んでください、写真を見てください。こんどの総理はどうかね。読まないのかね。見ないのかね」(大滝秀治)
 --- 毎日新聞 第1次安倍政権発足直後のインタビュー から

2015年10月3日土曜日

火の無いところでも

「火の無いところに煙は立たない」なんてとんでもない。「火の無いとこでも焼け野原」ですよ。(山本太郎)

2015年9月23日水曜日

豊かさ、便利さ

第一次石油ショックは、<暗闇の思想>を唱えていた私から見れば、軌道を修正すべき絶好の契機と思えた。少し不便になっても、少し貧しくなっても、これからはつつましいエネルギーで成り立つような暮らしへと軌道修正できるチャンスのはずであった。だが、選択は逆であった。今獲得している豊かさ、便利さをいささかも手放したくないという世論の動向を、電力会社は的確に見抜いていたといわざるを得ない。(松下竜一)
   --  『今こそ <暗闇の思想>を』 小出裕章 から

2015年9月22日火曜日

病理

『僕の半分の血は朝鮮人や』という言葉が一言でもあったら、あの人の株はもっと上がってたんよ。あれだけいろんなことを言うてた人が、一番大切なことを言えんかった。ちゃんちゃらおかしい。でも言えんかったのは、日本社会の病理でもあるんですわ。(たかじんと同世代の在日コリアンの言葉)
   ---  「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」 角岡伸彦 から

2015年9月20日日曜日

不断の努力

憲法12条には、自由・人権は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」と書いてある。国会議員を選んだ後も、任せきりにしない。我々が国会の前に集まり、こうやって声を出す。これこそが「不断の努力」だ。若い人たちが先頭に立って、国民が選挙以外の時も努力をするという、新しい政治文化を創ろうとしている。
  ーーー 山口二郎

2015年8月9日日曜日

ジャンゼンーコンネル仮説

親木から散布された種子は親木の近くでは数は多いものの、そのほとんどが昆虫など捕食者や病原菌などの天敵によって死亡してしまう。しかし遠くに散布された種子や実生は生き残る。また天敵が親木の子供(同種)を強く攻撃し、他種の実生はさほど強く攻撃しないといった”種特異性”をもつ場合は、親木の下では自分の子供(同種)の代わりに他種が生き残り、種の多様性が作られる(ダニエル・ジャンゼン)
   --- 「樹は語る」 清和研二から

2015年8月8日土曜日

素直になるな

いちばん言うことを聞いてはいけないのが、親の言うことと、学校の先生の言うこと。なぜか? みなさんは”いい学校”から”いい会社”へという神話を疑いもしないけれど、その最終目標の、”いい会社”をいちばん知らないのが母親と大学の先生だ (佐高信)

2015年7月19日日曜日

思想と信心

人が個として民主主義社会に生きていくのであれば、公の発言から何かの運動に至るまで、その矛盾の幾重もの襞(ひだ)のあいだから言葉と行動を選び、躊躇しながら力強い言葉にしなけらばならばない。何らかの「恥」があって当然なのである。だから異なる考えに耳を傾け、異質な者を受け容れ、しかし「自分」をやめるわけにはいかないように、行動と発言をやめることはない。
 その反対に自分を疑うことなしにひたすら正しいと思い込み、悪いのは自分以外の何者かであると信じ、それに対する攻撃の手をゆるめないもの、それは運動ではなく「暴力」と呼ぶべきだろう。様々な理屈をひねり出したとて、それは思想ではなく信心である。
   ---   田中優子「そろそろ社会運動の話をしよう」から

2015年7月14日火曜日

およそ5000万人

およそ5000万人が死んで、今の日本国憲法は生まれた。
「たとえ戦争になっても、戦いに行くのは他人」だと、思っていませんか?
見上げれば 爆撃機が飛んでこない 青い空
戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいる人は、今のうちに、いろいろ聞いておこう。
悪いトコを捨てられない。いいトコを捨てようとする。日本ってどういう国なんだ。
こういう本が、出しにくい時代になる前に。
例外は例外を生み、やがて、例外は例外でなくなる。
そして、子孫から恨まれよう。  (前田知巳)

本当に怖いことは最初、人気者の顔をしてやってくる。 (前田知巳)

   ---   天野祐吉の「広告かわら版」から



2015年7月13日月曜日

知らぬ間に

さあ、戦争をしようと始まる戦争などありはしない。70年前、沖縄を捨て石にした戦争指導者がいる。今のお上、最高指導者たちと、仕組みも体質も変わっていない。
 いざ開戦となってしまった時、引き返す手立てはない。そして国は国家を守る。
   ---  野坂昭如「俺の舟唄」12 から

演説家が戦う愚か者にむかっていくら檄をとばそうと、いくら高貴な戦争目的を掲げようと、戦争を始めるのにはぜんたい一つの理由しかありません。それは金です。戦争の現実はすべて金をめぐるけんかです。   --- 「風と共に去りぬ」から

2015年7月8日水曜日

旧敵国

国連憲章には旧敵国条項っちゅうのがあって、連合国の昔の敵である日本はまだ旧敵国のままですねん。これは、日本とかドイツとか、イタリアとかが、よそさんの国を侵略するような行動したり、国際秩序の現状を破壊するんちゃう?って思われたら、国連に入っている国々は安保理すっとばして独自の軍事行動を旧敵国に対してとれますねん。

15日の終戦の時の玉音放送で天皇さんが「朕はついに国体を護持したえ」って言うてはることからも、まだ国体の護持は大事やってんなぁってわかりますわ。
『「国体の護持」 : そのときの国体っちゅうたら、大日本帝国憲法のもとで主権者で、なおかつ神さんやった天皇さんのことですわ。』

戦前に政治犯やっちゅうて逮捕されてた三木清さんってお人が、戦争終わったのに牢屋から出してもらえることなく、牢屋の中で亡くなりはりましてん。それを外国の記者さんがスクープしはりましてな、おいおい、日本政府ポツダム宣言守ってへんがなってバレましてん。

「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」 谷口真由美 から


国際連合憲章



2015年6月25日木曜日

生計(たつき)の方便

仕事というものは、生計(たつき)の方便です。「身すぎ世すぎ」と「好きなこと」が一致するはずだ、というまったく困った幻想がある。(上野)

あんたがやったことに、他人がなんでゼニ出してくれると思う?その人に役に立つことをやったから。他人の財布から金出してもらえるんでしょ?だったら少しは人の役に立つスキルを身につけろよ。マッサージでも、語学力でも、人の役に立つからぜニがもらえるんだ。自分が好きなことをしてゼニもらえると思うな。自分が好きなことは持ち出しでやるんだ。(上野)

「自分は無力で限界がある」、つまり自分の分をわきまえるということは、「自分には何ができる」ということがわかると同時に「自分に何ができないか」ということがはっきりわかること。自分にできないことをできるようにするには何が必要かということがわかる。だとしたら、自分にはないが、必要なものをよそから調達するスキルさえあればいい。(上野)

   ---   『結婚帝国 女の岐れ道』 信田さよ子 上野千鶴子 から

2015年6月18日木曜日

民主主義はタダなのか


 日本人は民主主義はタダだと思っていませんか? 行動しなければ現状を変えられない。政府に批判の声を上げる、デモに参加する。権力者側に大量の手紙を出す。要はうるさい市民になり、政府や世界にメッセージを発信していくことです。学生は、デモに参加することが就職に不利になると心配しています。でも私は、希望するならば学生をデモにデビューさせます。そして私はどんなに批判されても講演やメディアを通じて平和の実現を念頭に置いた意見を伝えていきます。選挙で投票するだけが、民主主義ではありません。
   ---  『この国はどこへ行こうとしているのか「平和」の名の下に』(毎日新聞)中央大教授・目加田説子 から

2015年6月17日水曜日

自分の頭で考えること

単に知識を学ぶだけでは何もならない。結局、必要なことは自分の頭で考えることだ <私の現場主義 から>

結局、いつの間にか自分が無知で無関心である間に、この国に36基の原発を許してしまった。それは自分の頭で考えようとしなかったからだ。専門家に頼ってしまった。専門家に任せていればいい、ということで考えようとしなかった。その結果がこれなんだ。(四国電力伊方原子力発電所の出力調整実験の反対運動をするお母さんたちの声) <私の現場主義 から>

あの石油ショックで、何もかも少し暗くしていかねばならなくなった時に、「そんなのはごめんだ。暗いことはごめんだ。貧しいことはごめんだ。不便なことはごめんだ。やっぱり、便利がいいんだ。豊かさがいいんだ。電力はどうしてもいるんだ」という、その選択が我々の側にあったわけです。だからこそ、あの第一次石油ショック、1973年を境として日本の原発攻策が急速度で進んでいくということになってきます。 <暗闇の思想 1991 から>

「電力危機なんか来るなら来てくれ」というふうに居直っていかなければならない。なぜならば、電力危機というのは、我々庶民にとって危機でもなんでもない。それで不便にはなるだろうけれど、貧しくなかもしれないけれど、命を脅かされるわけではない。電力危機というのは、実はそれを盛んに言い立てる側にとっての危機なんだ、ということを我々は見抜かねばならない。   <暗闇の思想 1991 から>

   ---  『暗闇に耐える思想 松下竜一 講演録』から


2015年6月4日木曜日

無責任体質

彼女(山田悦子)はなぜこの国には冤罪事件があとを絶たないかと必死に問い続けて、この国にはびこる無責任体質に行き当たったのだ。これまで幾つもの冤罪が判明しているが、裁判官も検察もその責任を問われた例はない。このように法的責任を負わない体質を彼女は「無答責」と呼び、「無答責」を「答責」へと変えぬ限りは冤罪事件はなくならないのだと結論する。更に彼女は、この国の無責任体質の最たるものとして、侵略戦争の責任を負わなかった天皇を見据えるのだ。
--- 松下竜一『巻末の記』 豪腕編集者との出会い から

人が人につながるには

人が本当に人につながっていくのは、人が掲げている主張や理念にのみよるものではあるまい。むしろその人が日常どう生きているかが見え、その人柄への共感が深まった時にこそ強い絆で結ばれるのだろう。
-- 松下竜一『巻末の記』 松下竜一松下センセの登場 から

2015年5月13日水曜日

日本の精神史

戦時の革新官僚であり開戦当時の大臣であった岸信介が総理大臣になったことは、すべてがうやむやにおわってしまうという特殊構造を日本の精神史がもっているかのように考えさせた。はじめは民主主義者になりすましたかのようにそつなくふるまった岸首相とその流派は、やがて自民党絶対多数の上にたって、戦前と似た官僚主義的方法にかえって既成事実のつみかさねをはじめた。それは、張作霖爆殺-満州事変以来、日本の軍部官僚がくりかえし国民にたいして用いて成功して来た方法である。・・・5月19日<安保強行採決の日>のこの処置にたいするふんがいは、われわれを、遠く敗戦の時点に、またさらに遠く満州事変の時点に一挙にさかのぼらした。私は、今までふたしかでとらえにくかった日本歴史の形が、一つの点に凝集してゆくのを感じた。(鶴見俊輔 六〇年安保闘争から)
   --- 小熊英二 『民主と愛国』から 

しかし岸さんのような人が出てくる根―これが結局、私たち国民の心にある、弱い心にある、依頼心、人にすがりつく、自分で自分のことを決めかねる、決断がつかない、という国民の、私たち一人一人の心の底ある―かくされているところのそれを、自分で見つめることがためらわれるような弱い心が、そういうファシズムを培ってゆく、ということを忘れてはなりません。(6月2日文京公会堂 竹内好 六〇年安保闘争から) 
   --- 小熊英二 『民主と愛国』から 

2015年3月8日日曜日

田舎の人は・・・

田舎の人は素朴でいいでしょう、などとも言う。田舎の人は素朴か。そうだとも言えるし、そうでないとも言える。人によってだ。当たり前の話だ。都会の人はみんな冷たいか。みんなせかせかと忙しなくていつも疲れているのか。そういう人も多いかもしれないが、そうでない人もいる。田舎の人は素朴でいい、などと簡単に言える人の頭の中のほうがよっぽど素朴だと思う。
「よかったら、来て、確かめてみませんか」
礼儀として、誘ってみる。そういう人は、すぐに断る。なぜか寒さや雪を否定的なものとしてとらえている。
  ---  宮下奈都 「神さまたちの遊ぶ庭」から

2015年2月28日土曜日

戦争をしたのは私たちではなく先行世代である

ドイツの大統領は、かつての占領国に行くたびに第二次世界大戦の戦死者の墓地に詣でて献花をして、ドイツ国民を代表してナチスの所業について謝罪しています。
(略)
1985年のワイツゼッカー大統領は演説でこう語っています。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」
戦争が終わって70年経っても、この謝罪の儀礼は終わりません。戦争に負けるということは「そういうこと」です。
   ---  新得あっちっこっち 通巻176号 「失ったことの無自覚」 から

2015年2月27日金曜日

日本人の宿痾

立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている。といえば聞こえはいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変質させることに他ならない。
 国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常生活に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さ忘れる。日本人の宿痾(しゅくあ)であった。
-歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。

--- 若杉冽 「原発ホワイトアウト」から

2015年2月24日火曜日

自慢はいらない

難民支援に金を出すと言うなら、謙虚につつましくやればいい。世界に宣伝することではない。

 ---『2月21日時事通信のサイト「安全保障法制を問う 中東での行使懸念=首相演説を批判──山崎氏」』から

まともな人間とまともでない人間と

原子力規制庁のなかには、政治の圧力に負けず、活断層上の原発は廃炉にすべきだと思っている課長補佐がいる。資源エネルギー庁のなかには、電力料金の査定では個々の調達価格の単価にまで切り込んで、電力会社のレントを極小化すべきと思っている企画官がいる。電力会社のなかにも、自由化した環境の下で低廉(ていれん)で質の高い電力を供給し、競争条件下でも打ち勝つ「普通の会社」にしたいと思っている社員がいる。マスコミのなかにも、スポンサーの圧力に負けずに公正中立な報道をしたいと思っているディレクターがいる・・・。
   --- 若杉冽 「原発ホワイトアウト」から

2015年2月23日月曜日

地主社会から管理職社会へ

年間億単位の報酬を受け取る企業トップは「経営能力」をアピールしますが、たまたま景気が良かった時期だったことによる「幸運の対価(pay for luck)」なのか、経営能力のおかげなのかは極めてわかりにくいというのです。

現場感覚のないまま、基準の不確かな「業績」や「能力」で人を二分し、「業績や能力がある」と(だれかに)認定された人たちには異様な高報酬を「業績や能力がない」と(だれかに)認定された人たちには自立できないほどの低報酬を、という賃金格差が横行していきます。それが当たり前のようになった社会に、日本は到達しています。

ピケティのいう富裕層の政治支配は日本ではすでに実現しています。資産格差と賃金格差、その集積としての政治支配という一連の構図がきれいに出来上がっているからです。

--- 竹信三恵子 「ピケティ入門」から

2015年2月7日土曜日

とても縛れた夜

とても縛れた夜

空気の張りつめた夜空には満月にはもう少しのお月さま
目を落とすと、そこには湖面のような波模様の雪の原

春になると撒かれるソバの畑も
今は数日前の大風の作品が飾られる

風は流れず
静かに
本当に静かなその作品に
月はライトを照らす

そうだ、写真だ
何をしているのだ写真を撮ろう
足早に家に戻って

薪ストーブの中で優しく踊る炎
その脇にロッキングチェア
おろした腰は動かなくなった

月は高く昇っていた

2015年1月30日金曜日

質量保存の法則

『確かに日本の格差は米国ほどではない。しかし、上位10%の富裕層の所得は、国民所得全体の30~40%まで広がっています。日本がゼロに近い低成長なのに、上位の所得が増えているということは、裏を返せば、実質的に購買力を減らしている人がいるということです。』(トマ・ピケティ)

2015年1月27日火曜日

境界線は集団を超えて引かれる

人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。したがっていっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ。

この世にはふたつの人間の種族がいる、いやふたつの種族しかいない、まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもすんでいる。どんな集団にも入り込み、紛れ込んでいる。まともな人間だけの集団も、まともでない人間だけの集団もない。
 --- ヴィクトール・E・フランクル 『夜と霧』 から

2015年1月19日月曜日

やる方にはわからない

「済んだことは忘れよう、新しい立場で仲よしになろうではないかと言う日本人がいるが、忘れようと言えるのは自分たちだ。日本人が忘れようなどと言うのはおかしい」

「過去の悲痛な記憶は早く忘れたい。しかし、日本人が自分でかちとったものでもない与えられた平和と人権に浸って、今日までの行為をないがしろにし、恬然(てんぜん)としているのを見ると、我慢ができない。そんな時、日本へのなごやかな感謝は急に冷めてしまう。そして日本軍に追われ、血まみれのはだしで、飲まず食わずにジャングルをさまよったことを思い出す。怖い日本兵の顔が浮かんでくる」

「自分は赤ん坊の頃から、両親に叱られる時は、きまって”日本人が来るぞ”と言われて育った。こうして育った情感は、おいそれとは消えない。これは日本人にはわからないだろう」
(穂積五一を慕うアジア留学生や研修生)

   --- 『黄砂の楽土』 佐高信 から

2015年1月13日火曜日

想像力

最悪の事態とは次のようなものを言うのではないだろうか。それは父祖たちが何代にもわたって暮しつづけ、自分もまた生まれたこのかたなじんできた風土、習俗、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみで置き去りにすることを強制され、そのために失職し、たとえば、十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長期間にわたって、自分のものでありながらそこで生活することはもとより、立ち入ることさえ許されず、強制移住させられた他郷で、収入のみちがないまま不如意をかこち、場合によっては一家離散のうきめを味わうはめになる。たぶん、その間に、ふとどきな者たちが警備の隙をついて空き家に侵入し家財を略奪しつくすであろう。このような事態が10万人、20万人の身にふりかかってその生活が破壊される。このことを私は最悪の事態と考えたいのである。(1994.9.10)

プルサーマル化しようとしている第一原発三号炉には、1978年に臨界事故を起こしながら、東電はそれをひた隠しに隠し、公表したのはなんと二十九年後の2007年だったという前科がある。(2010.7.1)

第二次世界大戦で戦争という麻薬の中毒患者になったアメリカにいまだ≪戦後≫が存在しないように、原発というドラッグに冒された立地地域では、二重の意味で≪原発以後≫なしという状況が形成されつつある。ひとつめの意味は、つぎつぎと原発を増設しなければ地域経済を維持できない泥沼にはまり込んでいるということ、もうひとつの意味は、原発破綻後には地域そのものが存在し得ない状況が出来(しゅつたい)するだろうということ、である。(2010.7.1)


   --- 若松丈太郎 「福島原発難民」から