2015年2月28日土曜日

戦争をしたのは私たちではなく先行世代である

ドイツの大統領は、かつての占領国に行くたびに第二次世界大戦の戦死者の墓地に詣でて献花をして、ドイツ国民を代表してナチスの所業について謝罪しています。
(略)
1985年のワイツゼッカー大統領は演説でこう語っています。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」
戦争が終わって70年経っても、この謝罪の儀礼は終わりません。戦争に負けるということは「そういうこと」です。
   ---  新得あっちっこっち 通巻176号 「失ったことの無自覚」 から

2015年2月27日金曜日

日本人の宿痾

立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている。といえば聞こえはいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変質させることに他ならない。
 国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常生活に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さ忘れる。日本人の宿痾(しゅくあ)であった。
-歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。

--- 若杉冽 「原発ホワイトアウト」から

2015年2月24日火曜日

自慢はいらない

難民支援に金を出すと言うなら、謙虚につつましくやればいい。世界に宣伝することではない。

 ---『2月21日時事通信のサイト「安全保障法制を問う 中東での行使懸念=首相演説を批判──山崎氏」』から

まともな人間とまともでない人間と

原子力規制庁のなかには、政治の圧力に負けず、活断層上の原発は廃炉にすべきだと思っている課長補佐がいる。資源エネルギー庁のなかには、電力料金の査定では個々の調達価格の単価にまで切り込んで、電力会社のレントを極小化すべきと思っている企画官がいる。電力会社のなかにも、自由化した環境の下で低廉(ていれん)で質の高い電力を供給し、競争条件下でも打ち勝つ「普通の会社」にしたいと思っている社員がいる。マスコミのなかにも、スポンサーの圧力に負けずに公正中立な報道をしたいと思っているディレクターがいる・・・。
   --- 若杉冽 「原発ホワイトアウト」から

2015年2月23日月曜日

地主社会から管理職社会へ

年間億単位の報酬を受け取る企業トップは「経営能力」をアピールしますが、たまたま景気が良かった時期だったことによる「幸運の対価(pay for luck)」なのか、経営能力のおかげなのかは極めてわかりにくいというのです。

現場感覚のないまま、基準の不確かな「業績」や「能力」で人を二分し、「業績や能力がある」と(だれかに)認定された人たちには異様な高報酬を「業績や能力がない」と(だれかに)認定された人たちには自立できないほどの低報酬を、という賃金格差が横行していきます。それが当たり前のようになった社会に、日本は到達しています。

ピケティのいう富裕層の政治支配は日本ではすでに実現しています。資産格差と賃金格差、その集積としての政治支配という一連の構図がきれいに出来上がっているからです。

--- 竹信三恵子 「ピケティ入門」から

2015年2月7日土曜日

とても縛れた夜

とても縛れた夜

空気の張りつめた夜空には満月にはもう少しのお月さま
目を落とすと、そこには湖面のような波模様の雪の原

春になると撒かれるソバの畑も
今は数日前の大風の作品が飾られる

風は流れず
静かに
本当に静かなその作品に
月はライトを照らす

そうだ、写真だ
何をしているのだ写真を撮ろう
足早に家に戻って

薪ストーブの中で優しく踊る炎
その脇にロッキングチェア
おろした腰は動かなくなった

月は高く昇っていた