2015年6月25日木曜日

生計(たつき)の方便

仕事というものは、生計(たつき)の方便です。「身すぎ世すぎ」と「好きなこと」が一致するはずだ、というまったく困った幻想がある。(上野)

あんたがやったことに、他人がなんでゼニ出してくれると思う?その人に役に立つことをやったから。他人の財布から金出してもらえるんでしょ?だったら少しは人の役に立つスキルを身につけろよ。マッサージでも、語学力でも、人の役に立つからぜニがもらえるんだ。自分が好きなことをしてゼニもらえると思うな。自分が好きなことは持ち出しでやるんだ。(上野)

「自分は無力で限界がある」、つまり自分の分をわきまえるということは、「自分には何ができる」ということがわかると同時に「自分に何ができないか」ということがはっきりわかること。自分にできないことをできるようにするには何が必要かということがわかる。だとしたら、自分にはないが、必要なものをよそから調達するスキルさえあればいい。(上野)

   ---   『結婚帝国 女の岐れ道』 信田さよ子 上野千鶴子 から

2015年6月18日木曜日

民主主義はタダなのか


 日本人は民主主義はタダだと思っていませんか? 行動しなければ現状を変えられない。政府に批判の声を上げる、デモに参加する。権力者側に大量の手紙を出す。要はうるさい市民になり、政府や世界にメッセージを発信していくことです。学生は、デモに参加することが就職に不利になると心配しています。でも私は、希望するならば学生をデモにデビューさせます。そして私はどんなに批判されても講演やメディアを通じて平和の実現を念頭に置いた意見を伝えていきます。選挙で投票するだけが、民主主義ではありません。
   ---  『この国はどこへ行こうとしているのか「平和」の名の下に』(毎日新聞)中央大教授・目加田説子 から

2015年6月17日水曜日

自分の頭で考えること

単に知識を学ぶだけでは何もならない。結局、必要なことは自分の頭で考えることだ <私の現場主義 から>

結局、いつの間にか自分が無知で無関心である間に、この国に36基の原発を許してしまった。それは自分の頭で考えようとしなかったからだ。専門家に頼ってしまった。専門家に任せていればいい、ということで考えようとしなかった。その結果がこれなんだ。(四国電力伊方原子力発電所の出力調整実験の反対運動をするお母さんたちの声) <私の現場主義 から>

あの石油ショックで、何もかも少し暗くしていかねばならなくなった時に、「そんなのはごめんだ。暗いことはごめんだ。貧しいことはごめんだ。不便なことはごめんだ。やっぱり、便利がいいんだ。豊かさがいいんだ。電力はどうしてもいるんだ」という、その選択が我々の側にあったわけです。だからこそ、あの第一次石油ショック、1973年を境として日本の原発攻策が急速度で進んでいくということになってきます。 <暗闇の思想 1991 から>

「電力危機なんか来るなら来てくれ」というふうに居直っていかなければならない。なぜならば、電力危機というのは、我々庶民にとって危機でもなんでもない。それで不便にはなるだろうけれど、貧しくなかもしれないけれど、命を脅かされるわけではない。電力危機というのは、実はそれを盛んに言い立てる側にとっての危機なんだ、ということを我々は見抜かねばならない。   <暗闇の思想 1991 から>

   ---  『暗闇に耐える思想 松下竜一 講演録』から


2015年6月4日木曜日

無責任体質

彼女(山田悦子)はなぜこの国には冤罪事件があとを絶たないかと必死に問い続けて、この国にはびこる無責任体質に行き当たったのだ。これまで幾つもの冤罪が判明しているが、裁判官も検察もその責任を問われた例はない。このように法的責任を負わない体質を彼女は「無答責」と呼び、「無答責」を「答責」へと変えぬ限りは冤罪事件はなくならないのだと結論する。更に彼女は、この国の無責任体質の最たるものとして、侵略戦争の責任を負わなかった天皇を見据えるのだ。
--- 松下竜一『巻末の記』 豪腕編集者との出会い から

人が人につながるには

人が本当に人につながっていくのは、人が掲げている主張や理念にのみよるものではあるまい。むしろその人が日常どう生きているかが見え、その人柄への共感が深まった時にこそ強い絆で結ばれるのだろう。
-- 松下竜一『巻末の記』 松下竜一松下センセの登場 から