2016年12月1日木曜日

絶対ということはない

絶対という言葉は信じません。
あえて信じる絶対は『人間は死ぬ。』
ということだけです。(生瀬 勝久)

2016年10月4日火曜日

労働者は人間

求職者が減った原因は、条件のいい仕事のある大都市圏への若者の流出だ。高知県は16年まで14年連続で県外への転出が転入を上回る。県内の仕事は非正規の割合が高く、正社員のみの求人倍率は昨年11月で0.56倍。全国で沖縄県に次いで低い (東京新聞2016年1月14日朝刊から)

労働法制は、本来、労働者の基本的人権を守るために存在する。強い経済を構築するためにあるのではない。生産性向上のためにあるわけでもない。労働者がより大きな付加価値を生み出せるようにするためにあるわけでもない。労働法制は、経営者も労働者も同じ人間であることを、労使双方が忘れないためにあるといってもいいだろう。

  --- 浜矩子ハマノリコ 『アホノミクス完全崩壊に備えよ』 から

2016年9月7日水曜日

いい人

権力は何によってもたらされているのかということを考えた時、それは無自覚な「いい人」なんだと思いました。(奥田)

 --- 週刊金曜日 1100号 奥田愛基・原一男 『さよならSEALDs』 から


男よりも男らしく


女性リーダーの多くが保守派なんですね。「男社会を変える」というと、ジェンダーや少数者に関する差別をなくすなどのリベラルなイメージと結びつきやすいですが、世界の女性政治家は必ずしもそうではない。そもそも「女性らしい政治」って何だという話にもなりますが、男社会の中でのし上がっる女性たちの多くは、男よりも男らしくなっていかざるを得ないのかもしれません。

 --- 週刊金曜日 1101号 『ブルボンヌママの虹の向こうへ』 から

2016年8月29日月曜日

日本の民主主義

「自由と民主主義のための学生緊急行動」(シールズ:以下「SEALDs」)解散というニュース聞いて

『どんどん新しい人に譲っていけるし。組織化していくと、そこからだんだん先細りしていくんですよ。運動ってのは。特に彼(奥田 愛基)の、「民主主義に観客席はない」という言葉は名セリフだと思って、観客席がいっぱいなんですよ、日本の民主主義は。』

 --- 福山大学 客員教授 田中秀征 『サンデーモーニング から』

2016年8月26日金曜日

改憲すると

徴兵制とかで大量の兵隊を動員する戦争は、もう昔話なんです。いまの先進国の戦争は誘導ミサイルとかのハイテク兵器が主役で、大量の兵隊は必要ない。最後に攻めこむのに少し歩兵がいるだけで、それはアメリカなら人種的マイノリティーや貧困層の若者が多い。つまり歩兵なんていまの軍隊では最下層の使い捨て労働者なんです。後方にはミサイルを操る技術職がいて、さらに後方にいる指揮官や幹部候補生が軍隊の出世組です。
(略)
IT技術が発達すると熟練が無意味になり、創造的な企画を立てる少数の中核社員と、それを伝達するITを維持する技術職と、伝達された企画マニュアルに従って熟練を要しない単純労働につく使い捨ての非正規労働者に分けるのが合理的になった。


当然ですが九条を変えても雇用は改善しない。起きるのは米軍の後ろに自衛隊がくっついて、イラク戦争のイギリス軍やベトナム戦争の韓国軍のように戦闘させられることだけです。それは莫大な財政負担になるし、たぶん消費税の大幅値上げとか生活保護の切り下げにつながるでしょう。改憲を支持しても自分で自分の首を絞めるようなものです。


「保守本流」の元祖は当時の首相の吉田茂ですが、彼は再軍備より経済復興を優先したのと、戦前に新英米派の外交官僚として軍に弾圧された経験があって、再軍備に消極的だった。吉田は社会党左派の政治家に、再軍備反対運動を起こしてくれ、と内密に頼んだりもしている。野党の反対を口実にアメリカの要求に抵抗しようとしたわけです。吉田は、「憲法で軍備を禁じているのは誠に天与の幸いで、アメリカから文句が出れば憲法がちゃんとした理由にになる。その憲法を改正しようと考える政治家は馬鹿野郎だ」と言っていたそうです。


現在の軍事常識では、前線の戦闘兵力の四~五倍の後方兵力がなければ攻撃軍としては体をなさないといわれています。仮に一万人の戦闘員を日本に上陸させるとすれば、合計五万~六万の兵士が必要になり、さらに、武器、弾薬、食料などを補給し続けなければいけません。


91年の湾岸戦争時、アメリカの迎撃ミサイル「パトリオット」はイラクのスカッドミサイルを一発も撃ち落とせなかったばかりか、パトリオットの破片でイスラエル市民が負傷しただけでした。その後もミサイル迎撃開発は失敗続きです。


日本が軍事力を使って独断で北朝鮮の基地を攻撃するなど、アメリカが許すはずがありません。アメリカにとって主要な貿易相手国である中国が北朝鮮の崩壊を望んでいない以上、北朝鮮への攻撃には賛成できないからです。


日本の防衛産業がきわめて非効率な業界で、日本の国産兵器が世界でも群を抜いて高額なのは有名です。国が給与を払う国家公務員のうち約四割が自衛隊員で、その人件費は約二兆円に上がっていることは、意外と知られていません。
(略)
これからの日本の防衛と自衛隊のあり方をきちんと議論しないで九条だけを変えることは、既得権益化した自衛隊と防衛産業を認めることにしかならないと思います。


 --- 小熊英二 『私たちはいま』 から

2016年8月10日水曜日

豊かさ

今こうして羊のことを考えながら思い出すのは、風の通る緑の原で羊たちがのんびりと草を食(は)んでいる風景だ。いい羊がいい音をつくる。それを僕は、豊かだと感じる。同じ時代の同じ国に暮らしていても、豊かさといえば高層ビルが聳(そび)え立つ街の景色を思い浮かべる人も、きっといるのだろう。


山と町。都会と田舎。大きい小さい。価値とは何の関係もない基準に、いつのまにか囚われていた。

 --- 宮下奈都 『羊と鋼の森』 から

2016年7月19日火曜日

歌の持つ影響力

さんざん戦意をあおって多くの人を死にいたらしめした古関裕而が、戦後、平和を祈る歌『長崎の鐘』の作曲もしている。しかも作詞はサトウハチローで、軍歌をつくってきたコンビで、今度は平和を願う歌をつくっている。
(略)
例えば、『六甲おろし』をつくったものも古関裕而なのですが、かれはなんと、読売ジャイアンツの応援歌『闘魂こめて』もつくっている。さらに、中日ドラゴンズの応援歌『ドラゴンズの歌』もつくっている。
(略)
歌をつくることを生業にしていながら、歌の持つ影響力の深さを考えることのできない人だったと思わずにいられないわけです。

  --- 「佐高信の昭和史」から

2016年7月9日土曜日

コミュニケーション力が高いことと、言っていることが正しいかは別物

自分たちを認めてくれる、人当たりの良い、魅力的な指導者。
彼が本当に自分たちの国のために良いことをしてくれるかはわかりません。
それを見抜くためには、その人が言っていることが本当なのかをきちんと調べ、彼のビジョンの先に何が待っているかを現実的に想像しなくてはならないのです。 (森山たつを)


三宅洋平のコミュニケーション力はスゴイと素直に思った』 森山たつを / もりぞおのBLOGOS

本当の三本の矢

「平和・人権・平等」 の日本を
「戦争・弾圧・搾取」 の日本に変える。  (かむろてつ)

2016年7月5日火曜日

自分の幸せの行方

「全国827万人世帯の学会員さんに伝えたい。自分の信仰を、自分の人生を、自分の幸せを、組織の意思だけに任せるのは終わりにしましょう」 
 (竹原弘樹 創価大学有志の会)

明日、戦争が始まる

「明日、戦争が始まる」  宮尾節子


   明日戦争がはじまる
   まいにち
   満員電車に乗って
   人を人とも
   思わなくなった

   インターネットの
   掲示板のカキコミで
   心を心とも
   思わなくなった

   虐待死や
   自殺のひんぱつに
   命を命と
   思わなくなった

   じゅんび
   は
   ばっちりだ

   戦争を戦争と
   思わなくなるために
   いよいよ
   明日戦争がはじまる



【IWJブログ・特別寄稿】「明日戦争がはじまる」の作者です。こんにちは。(第3回) 詩人・宮尾節子 | IWJ Independent Web Journal

2016年7月2日土曜日

一銭五厘の旗

ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果たさない
戦後の悪い習慣だ とおっしゃる
(まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめから 戦後のいまでも
必要以上に 横車を押してでも 権利を主張しつづけ その反面 なすべき義務を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
(見よぼくら一銭五厘の旗)


徳川時代や明治時代や、とにかく戦前までの女性は、みじめだったというのが、常識になっている。
しかし、いまの若いひとが考えているような、ラクかどうか、という物尺ではかれば、あのころの女性は、けっこうラクだったような気がする。
責任がなかったからである。
自分で何も考えることはいらなかった。むしろ、考えてはいけなかった。
(世界はあなたのためにはない)



そんなことを言っては損だと知っていても、いわなければならないことは、ハッキリと大きい声でいう。そんなことをしてはまずいとわかっていても、しなければならないことは、きっぱりとやる。
 それが青年というものだ。すくなくとも、青年と老人がちがうところは、そこなのだ。
(どぶねずみ色の若者たち)


--- 花森安治 『一銭五厘の旗』 から 

2016年6月21日火曜日

音楽と政治

「政治的なものは嫌」とか言える人は、自分が聞いてるものがいかに狭く、小さいものであるかが分かってないんだろうと思う。そのうち映画でもこういうことを言う人が出てきそうだな。「メッセージ性が強い映画は嫌い」とか   (松江哲明 映画監督)

2016年6月20日月曜日

一億総野垂れ死に -サギノミクス

事業の運営に人手は必要だから、会社は必死に求人を出す。だが、仕事に見合った賃金ではないために働き手は出てこない。求人に応じるのは、夫や父の扶養下にあったり、年金の支えがあったりして低賃金でもなんとかなる主婦、学生、高齢者、といった層ばかり。保育士不足は代表例だ。
 有給求人倍率の1倍超えは、そんな状況で生まれた雇用の危機を示す数字と読める。

---  竹信三恵子 「経済私考」 週刊金曜日 1091号 から

知ろうと思わない人達の国

自分が20歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうとともしない人が多すぎる。これから20年もたてば、もっと悪くなるだろう。経済も国債の金利があがったら、大破局がくるかもしれない。(小熊譲二)

---  小熊英二 「生きて帰ってきた男」 から

2016年6月17日金曜日

多くを語らず

淡々としていた。お互いに戦争体験者だから、多くを話さなくても見当がつく。泣いたりわめいたり、激しく感情を動かしたりはしない。何も言わなくてもお互いにわかる。激しく感動したり泣いたりするのは、何も知らない人がやることだ。(小熊譲二)
   --- 小熊英二 『生きて帰ってきた男』から

2016年5月28日土曜日

主語無し

自己規制なんて上品なもんじゃねぇよ、もう。自己規制なら、自己との闘いがあるでしょう。そんなもんじゃない。ズルズル、ズルズルな。新聞そのものに主語がない。そこで働いてメシ食っている連中、主語があるわけないじゃないか。(むのたけじ)

2016年5月4日水曜日

原発を止める人々

日本の人々自身に自覚がないのに驚くが、3・11以後の変化は著しいものがある。公式的には脱原発を宣言したドイツやスウェーデンなどは、実際に多くの原発を動かしている。しかし日本は、3・11以後にもっとも劇的に原発稼働を減らし、一時はゼロにした。世界の運動がどこもなしとげなたことがない、非暴力直接行動によって官庁街を長期にわたり占拠するということも実現し、与党のエネルギー政策を変えさせた。
それでもその自覚がないのは、現代日本の人々に社会運動の経験が少なく、そのぶんだけ期待が大きすぎるからであろう。首相が何の下準備もなく「明日から原発は全部廃炉にします」と宣言するとか、にわか作りの「脱原発政党」が一気に多数派になるといった、漫画のようなことは現実には簡単におこらない。かといって、実現したことが小さかったわけではないのである。

   --- 小熊英二 『原発を止める人々』から

2016年4月1日金曜日

差別意識や偏見の自覚

たんに差別的なことばを使用したか否かではなく、その文脈に、”侮辱の意志”があるかどうか、つまり、表現の差別性を、問題にしているのであった。

差別をかくすために、差別語を禁句にするのではなく、差別をなくすために、あえて差別語を使用すべきなのである。差別語をもって差別の実態を逆照射し、差別を告発することができるのである。

重要なことは、差別意識や偏見をもっているか否かではなく、(つまり、差別意識や偏見から逃れられる人はいないという前提で)差別意識や偏見をもたされていることを自覚しているか否かにある。

通院歴・病歴には、内科・歯科・眼科・耳鼻咽喉科などがあるはずなのに、なぜ取り立てて精神科のみを取り上げて記事化するのか?
一般に差別表現か否かを、話者の主観的な意図にもとづいて、つまり悪意をもって発言したかどうかを基準をおく傾向がありますが、重要なことは、表現主体(話者)の差別的意図の有無の問題ではなく、表現内容の差別性についての客観的評価(社会的文脈)で判断すべき問題ということです。

なぜ部落解放同盟はこれほどまでに社会的影響力を失い、組織存亡の危機に瀕しているのか?ということだった。
答えはハッキリしている。弱体化の原因は、抗議しやすい企業、宗教、メディアに対してのみ糾弾を行い(今やそれすら充分におこなわれているとは言い難い)、本来の対象である権力に対する糾弾を回避するようになったからである。

被差別部落出身者が、みずからの出目に胸を張り、今なおふるさとを隠さざるを得ない、全国に散在する兄弟姉妹の、無言の声を背負って、社会の差別、国家権力の差別と闘いきる-それが糾弾のエネルギーの源泉であり、部落解放運動である。

--- 小林健治 「部落解放同盟「糾弾」史」 から

衰退するジャーナリズム

日本国憲法は、非常に貴重なものだと思うのです。なぜかというと、それは人類史上初めて原子爆弾を二発落とされ、連合軍に対して無条件降伏した国がつくった憲法、これはアメリカ人がつくって日本に押し付けたという人がいるけれど、日本人のほとんどは日本国憲法を納得して受け入れたわけです。そうすると、誰がつくったということはそれほど問題ではなく、納得した以上、日本の憲法なわけです。特に第九条-前文もそうですけど、第九条は日本が世界に誇れるものの一つです。なぜかというと、(平和は)人類の究極の目標だからです。それを捨てるって、そんな馬鹿なことはと僕は思うわけで、心から憲法改正に反対なのです(久米宏)

今の憲法は天然記念物といったら言い方は変ですけど、世界史的にみて意味がある憲法だと信じているのです。それに手を加えるということは、絶対に許されないと思っているのです。(久米宏)

客観報道がどれほど重要であっても、それが大衆の意見代弁や権力の監視といったジャーナリズムとしての社会的使命を果たさないのなら、それは無意味というしかない。そのように考えると、テレビのキャスターは、自身の個人的見解を披瀝(ひれき)するだけではなく、またアナウンサーのように用意されたニュース原稿を読み上げるだけでもなく、”ニュースを自身の言葉で客観的に語る”ということになるのかもしれない。言葉を代えれば、主体的な客観報道と形容できるのである。

--- 福永勝也 『衰退するジャーナリズム』 から

2016年3月5日土曜日

津波てんでんこ

「津波てんでんこ」
「波がきたら、他人にかまっちゃいられないから各自てんでんばらばらに一人で逃げなさい」
「自分の命は、自分の責任で守りなさい」


原発のような事故に直面して、そこから学ぶべき教訓とは、誰もが逃げ出したときに制御不可能になってしまうような、そのような巨大なリスクを、わたしたち人間の手でつくり出すべきではないということです。


時間と年齢は誰にでも平等に訪れます。かつて強者であった人も自分が弱者になる可能性に、想像力を待たなければならない時代が、超高齢化社会だと思います。わしたちは、弱者になるまい、ならない、というような努力をするくらいならば、むしろ誰もが安心して弱者になれる社会をつくる、そのための努力をしたほうがマシなのです。それがあの震災がわたしに教えてくれた教訓でした。

--- 上野千鶴子 「生き延びるための思想 新版」 から

2016年1月28日木曜日

奇襲攻撃に対する報復

原爆資料館では広島が狙われた理由の説明が「広島に捕虜収容所がなかったから」となっていますが、それが主要な理由ではありません。広島は日本最大の軍事都市で、朝鮮人がたくさん連れてこられました。ほとんど強制連行です。トルーマンは原爆投下16時間後に声明を出しました。「日本軍によるハワイ奇襲攻撃に対する報復だ」と。広島は加害基地だったことを認めたくないから、いつまでも被害者意識だけでやろうとしているんです。しかし日清戦争から日露戦争、満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争、この五大戦争では広島から軍隊が出て行きました。(李実根リ・シルグン 「朝鮮人被爆者協議会とともに」)
  ---  「在日一世の記憶」 小熊英二 & 姜尚中 から