2018年12月10日月曜日

見たくないものを見たくないだけで、ホントに見るべきものはたくさんある

『たとえば日本は平和だから、そんなに社会的なこと言わなくてもいいって言う方がたまにいる。
僕は平和じゃないと思う。平和なとこしか見ない人ばっかりの話で、平和じゃないこともたくさんある。ニュースになってないだけで。
(略)
みんな見たくないものを見たくないだけで、ホントに見るべきものはたくさんあると思うんですよね。』(村本大輔)

2018年11月13日火曜日

福島原発放射能汚染シミュレーション

ドイツ気象庁の福島原発放射能汚染シミュレーション 2011年3月27日(日曜日) の投稿に対して、Y様より、リンク切れのご指摘を頂きました。

又 既にリンク切れの『緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算』のページの内容をPDFにして修復ページを公開されています。
この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。

修復ページはこちらです。


ちなみに、『ドイツ気象庁(DWD)による粒子分布シミュレーションの日本語訳』は2011年7月29日をもって、ドイツ気象庁(DWD)の拡散予測は終了しています。 この拡散予測と本サイトでの翻訳発信を含む、事故をめぐる詳細な記録が、書籍『福島原発事故独立検証委員会による調査・検証報告書』にも記載されている模様です。


◆参考◆ 
ドイツ気象局(正式名称:Deutsche Wetterdienst、通称:DWD)

電力・ガス料金比較 セレクトラ



2018年10月29日月曜日

敗戦によって自分たちは

敗戦によって自分たちの生活はずいぶん変わったけれども、ものの考えかたの方式は、すこしも変わっていなかったのだ、ということである。つまり、戦争中は、戦争に協力せよと言われたからそれに従い、同じように、戦争が終わってからは、こんどはデモクラシーを学べと言われてそれに従っていたにすぎなかったのだ。



戦争が終わって、学徒動員で働いていた工場から、はじめて学校へ帰ったとき、まず先生に言われたことを忘れない。
「これからの日本は自由主義になるのですが、自由と放縦(ほうじゅう)とは違うのですから、けっしてはき違えることのないように」
 その時点での先生の老婆心はわからないではないし、げんに今でも、この論法で若者をいましめる人が多い。しかし、世界じゅうの人びとが、あたまの血を流してまで求めつづけた「自由」の重みを「放縦」という卑小なイメージとセットになったものとしてしかうけとめえない人の多かったことは、その後の日本の不幸にも、大きくかかわっているのではあるまいか。

  --- 杉みき子 『がんぎの町から』 から

2018年9月17日月曜日

呪縛 そして 集団的呪縛

「呪縛」とは「不条理」な「虚像」や「心情」にしがみつくことであり、自らが意識せずに取り込んでしまい、離脱しようとすると、強い罪悪感が喚起(かんき)されるある種の「規範」や「信条」を示す。「集団的呪縛」とはそれが「集団」によって共有され、再生産され、集団の構成員に強要され、なおかつ外的状況が変化し、集団の構成員や集団の存続に明らかに不利な働きをすることがわかっていても依然として、その集団によって「継承」「共有」されることをいう。そこから離脱しようとするものは「共同体の制裁」と「非難」に遭い、強い罪悪感を抱かされ、苦悩する。


原発に反対する人はしばしば、「福島原発事故は共同体を破壊し、家族を破壊した」と指摘する。しかし実のところ、原発事故が破壊したのは「政府や科学技術への信頼」という「人知」にもとづいた「かりそめの共同体」に過ぎない、と言うべきかもしれない。そもそも反対意見の封じ込め、排斥し、地域振興とばかりに10基もの原発を地域内に招きいれ、いつ起こるとも知れない事故と隣りあわせで、いかに「平和」な「地域社会」や「家族」を作り出しても、それは「砂上の楼閣」のごとき「見せ掛け」であることを我々は認めなくてはならない。現代日本社会はまさに、この「砂上の楼閣」を「繁栄」であると読み替えてきたのである。

  ---  深尾葉子 『魂の脱植民地化とは何か』から

蓋の上の人格

これまで「逃げること」ばかり考えていた過去の自分に別れを告げ、はじめて「守りたいもの」のために戦うことに喜びを見出すハウルは、一見「変身」したかに見える。しかし呪いの秘密が解けないまま、戦いによって平和を得ようとするその姿は、実は何一つ変わっていない。これまでと同じ扉に、入り口の色を新しく変えて、出てゆく空間を取り替えることで「蓋の上の人格」の一部を入れ替えただけである。(ハウルの動く城)
  ---   深尾葉子 『魂の脱植民地化とは何か』から

2018年9月2日日曜日

本物っぽければ

画一化するロードサイドの風景は「柴崎コウ」的である。本物っぽければ、本物でなくてもヨシ。本来求められているのは「柴咲コウ」なのにみんなが「柴崎コウ」でヨシとしているから、「柴崎コウ」のまま街づくりを進めてしまう。個性に欠ける店の並びが、本物ではない気配を許しながら多量に配置されていく。「これで良かったんだっけ?」と誰に確かめるでもなくコピペが続く。新たに街づくりが提唱される時、その路肩に「もう片方の軍手」が転がっている可能性に目をやることができるかできないか。画一化から逃れる方法はやっぱりそこにある。

--- 武田砂鉄 『紋切型社会』から

2018年8月25日土曜日

やりがい搾取

”やりがい搾取”とは、”ブラック企業”を語るうえで出てくる新語で、給与や時給は低い代わりに、労働者に”やりがい”という報酬を強く意識させることで働く動機づけとする詐略を指す。労働者に”やりがい”が報酬であるという考え方を植え付ける代わり、金銭的な報酬を搾取する手法。(本田由紀『軋む社会』から)

2018年8月4日土曜日

血盟団事件とは一体、何だったのか

 事件の背景には、経済的不況による庶民の生活苦があった。大洗の青年たちは、農村社会の疲弊に直面し、苛立ちを募らせた。仕事を求めて東京に出ると、そこでも下町の苦境に直面した。
  一方で、巷ではエロ・グロがブームとなり、繁華街ではカフェ遊びが流行していた。そこでは地方から売られてきた女性たちが、小金を持った男たちの欲望の対象となっていた。格差社会は拡大し、弱きものは困窮から抜け出せなかった。
  しかし、政治は無策だった。既成政党はお互いに足を引っ張り合うばかりで、有効な政策を打ち出せなかった。さらには、汚職事件が次々に発覚し、政治不信は頂点に達した。
 一部の特権階級は、相変わらず優雅な生活を送っていた。財閥は資本を独占し、庶民との格差は広がりつづけた。人々は既得権益に対する不満を高め、救世主を待望するようになった。
  暗い世相と時代の閉塞感の中で、若者たちは煩悶(はんもん)を肥大化させていった。井上日召が苦悩を抱え込んだのは、二十世紀の初頭だった。

   ---   中島岳志 『血盟団事件』 から

2018年7月15日日曜日

疲れを知らないコンピュータ

「立場主義」は実のところ、すでに機能しなくなっています。なぜならば膨大な数の機械を人間が操作する必要がもうないからです。今ではその仕事を、疲れを知らないコンピュータがやるからです。立場を守るために果たすべき役が、もうないのです。にもかかわらず私たちの社会は、今でも「立場主義」で働いています。

---  安冨歩 『あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいである』 から

2018年7月1日日曜日

1たす1は

「例えば、絵本の中のくまさんが鮭1匹とマス1匹を食べたなら、物語の最後では必ず”まんぷく”になっている。あるいは、くまさん1匹ともう1匹のくまさんが出会ったら、蜂の巣は”からっぽ”になるはずだ。だから、1たす1の答えは”いっぱい”でいいはずなんだ。それなのに、一つの答えしか正確じゃなくて、他の答えは間違いだなんて、そんなの絶対おかしいよ」

「僕が欲しいものは、他人を叩きのめす力ではない。異質な物と、つながりを持てなくても、理解しあうことはできなくても、寄り添うことをやめないだけの足腰の強さと、感応できるだけの優しさだ。歳を取った人間の描く希望とは違うかもしれない。けれど僕たちは、それがあれば生きてゆけるのだ。敏感でやわらかな指先を、他者にむかってのばすこと、それが、僕にとっての希望なのだ。」

---  小野田由紀 『メゾン刻の湯』から