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2015年9月20日日曜日

不断の努力

憲法12条には、自由・人権は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」と書いてある。国会議員を選んだ後も、任せきりにしない。我々が国会の前に集まり、こうやって声を出す。これこそが「不断の努力」だ。若い人たちが先頭に立って、国民が選挙以外の時も努力をするという、新しい政治文化を創ろうとしている。
  ーーー 山口二郎

2012年8月14日火曜日

大学

大学改革の議論では、英語が喋れるグローバルな人材の育成が叫ばれるが、何とも的外れな話である。欧米でも、大学の基礎教育は歴史と哲学が中心である。安直 なハウツーを身に着けるのではなく、答えの出ない問題を必死で考え続ける知的基礎体力を持った人間を育てるのが大学の仕事である。 ---  山口二郎 『東京新聞 本音のコラム』から

2012年8月7日火曜日

普通の市民、普通の民主主義

首相官邸周辺のデモについて、党派や団体ではなく、普通の市民が大勢参加しているという報道が目につく。これはおかしな話である。今までの日本の政治は、普通の市民が街頭で声を上げることを奇異と思っていた点で、普通の民主主義ではなかったのである。
 ---  熊本日日新聞8月5日 「いくつかの民主主義」山口二郎 から

2011年6月16日木曜日

自己責任の虚妄

危険と責任という問題について、いささか突飛かもしれないが、私は7年前のイラク人質事件のことを思い出した。あの時、多くの識者や政治家は、危険を承知でのこのこイラクに行った連中を助ける必要などないと断じていた。自己責任論というやつである。

つくづく、自己責任という言葉は弱者のみに押し付けられる言葉だと思う。

--- 山口二郎 東京新聞 2011年5月15日 本音のコラム から

2007年1月17日水曜日

たしか同じ年代の方だったような

「もし全体が自主性、自発性のない人ばかりになったら、社会はどうなるのか。イエスマンばかりになって、多数派になびいて個人がどこにもいなくなったとい う状況に陥ったら、かえってその国は破滅するという逆説的な事態だってありうる。そろそろこの国は、そういう段階にきているんじゃないかと思いますね。」  
(週刊金曜日No.637  --- 山口二郎)

「そろそろどころか、すでに」  と、思うのは私だけ?だろうか。