けっきょく権力や人間諸悪の根源は、人の上に立ちたいとゆう欲望でおます。ほてからに地獄に落ちる、東条大将がその見本や。これを裁くほうも、ちょぼちょぼやおへんか。国を動かし戦争をおこすのは、権力を持っとる人々や。社会党かて共産党かて、政権とったらおなじやとゆう気がする。野にあってこそ自由、正義の味方やとワテは思いますのや。( #嵐寛寿郎 )
2023年12月26日火曜日
2023年12月24日日曜日
2023年12月15日金曜日
蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?
成長するためじゃないですか。
(略)
いいえ、一生懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつかは足が生えてくるって信じているからなんですってさ。今度こそ、今度こそってね。
蛇は思っているの。足がある方がいい。足があるほうが幸せだって。
(略)
この世の中には、足は欲しいけど、脱皮に疲れてしまったり、怠け者だったり、脱皮の仕方を知らない蛇は、いっぱいいるわけよ。そういう蛇に、足があるように映る鏡を売りつける賢い蛇もいるというわけ。そして、借金してもその鏡がほしいと思う蛇もいるんですよ。
ーーー #宮部みゆき 『 #火車 』 #1992年7月15日
2023年11月25日土曜日
大量殺人の合法化・正当化
「戦争」を実行する人たちが何をするかと言えば、殺し合いである。しかし彼らは「殺し殺され屋」とは呼ばれず、立派な制服を着せられて「兵士」と呼ばれる。日本ではさらにオブラートに包まれて「自衛官」などと呼ばれる。
(略)
人間が何のために兵器を造るのかといえば、他人を効率よく大量に殺すためである。しかし兵器を造る企業は「大量殺人産業」とは呼ばれず、「軍需産業」などと呼ばれる。軍を維持するためのお金は「大量殺人費」とは呼ばれず、「防衛予算」と呼ばれる。より効率的に人を殺すための研究は「大量殺人研究」とは呼ばれず「軍事研究」と呼ばれる。
(略)
今回のハマスによるイスラエル人の大量殺人も、イスラエルによるパレスチナ人の大量殺人も、アメリカによるアフガニスタン人の大量殺人も、ロシア人によるウクライナ人の大量殺人も、当事者の言い分では「自衛のための戦争」ということになる。それを「自衛のための大量殺人」などと呼べば、彼らは真っ赤な顔にして怒るだろう。
つまり大量殺人を合法化・正当化するための言葉が「戦争」なのである。
--- 想田和宏 風速計 週刊金曜日 1450号 2023年11月24日
2023年9月1日金曜日
忘れてはいけない
「五輪の本質を議論するチャンスだ」という視野のなかには、国立競技場建設のために強制移住を強いられた都営霞が丘アパートのかつての住民の姿は入っているのだろうか。競技施設の建設に用いられた木材が、インドネシアの熱帯雨林から違法に伐採された疑いがある事実は考慮されているのだろうか。不条理に強いられたジェンダー区分により競技する権利(「憲章」の原則(4))を剝奪されたセメンヤの姿は入っているのだろうか。オリンピック一色だった報道の一方で、受けられるべき手当てを受けられず、病床が足りずに亡くなったコロナ感染者のことはひっそりと伝えられたに過ぎなかった事実をどう考えるのだろうか。
2023年8月30日水曜日
2023年8月24日木曜日
2023年8月16日水曜日
市井の人の言葉
『限界集落って言葉はやめてほしい。残っている人は、子どもを育てて送り出して、親の面倒を見てこの地を守っている。生きている人に対して使う言葉じゃないと思うんです。』(金田征之)
誰しも、いつ身体が悪くなるかわからない。生き続ける限り、誰だって老後が来て、寝たきりになる。『その寝たきりの後のロールモデルを、人間はいまだかつて獲得できていないんですよ』(吉藤オリィ :OriHime 開発者)
思い出すのは1985年頃、大阪・釜ケ崎で日雇い労働者が派遣法に反対するチラシを配っていた光景だという。この法律によって派遣は景気の安全弁にされる、全国が寄せ場化すると警鐘を鳴らす労働者たちを、当時の奥田(知志)さんは半信半疑で見ていた。しかし、今「彼らの予感が的中した」とひしひしと感じる。
このコロナ禍でオリンピックが開催されること、
『異常ですよね。他にやるべきことがあるのに、おかしいと思っているのにズルズルいって、誰も責任を取る人がいない。右向け右って言われたら右を向いてしまうのいって、すごく日本的ですよね。異論を唱えるのが良くないとされている』(林リダ)
「高齢化日本一」の群馬県南牧村で移動販売をやっている安藤さん夫婦
『確かに風景は非常に悲しくてうら寂しいのだけれど、安藤さん夫婦がとても明るくて、行商をやりながら饅頭やお茶を配ったり、みんなの荷物を運んであげたり、村全体が家族という感じなんです。消滅可能性は確かに高いよなと思う一方、人のつながりの力強さに感銘を受けました。』(久江雅彦)
--- #雨宮処凛 「祝祭の陰で 2020-2021」 #2022年3月25日
2023年8月5日土曜日
2023年7月31日月曜日
2023年7月25日火曜日
無変革 無関心
なにしろ私たちの多くが変革を嫌い、現状肯定の平穏を選んできた結果が、いまや多くの分野で首位の座を明け渡した技術開発力であり、前政権以上に臆面もない独善が目立つ菅政権の強権政治である。(2021-1-3)
かの無謀な戦争しかり。地震国で原発を動かす無定見しかり。1000兆円もの国債発行残高しかり。最後に泣きを見ても、政治から民間までことごとく根拠のない安全神話や楽観にすがるのは、日本人の国民性などではない。個々の責任を問わない社会の甘さが、非効率のはびこる独善を生み、独善が無責任な楽観を生むのである。(2021-4-4)
--- #高村薫 『作家は時代の神経である』 から
2023年7月21日金曜日
新聞記者論
『新聞記者の職責や大なり。而(しこう)して新聞記者の任務やまた一にして足らず、精確なる事実の報道の如き、即ち其責務の最たるものなり。事実を報道する、用意なるが如くにして実は決して然(さ)らず。機敏なる観察と冷静なる判断力を以てするにあらざれば、事実は事実として決して記者の眼中に映(えい)ずるものにあらざるなり。・・・況(いわん)や他の記者を出抜(だしぬ)き、最も迅速に而して最も精確に事実を報道するの困難なるをや。是(これ)を以て、新聞記者の道徳は世の常の教条を以て律すべからず。彼は、此職務を遂行するに於(おい)て、勢い有らゆる道徳上の教条を無視せざるべからざる地位にあり。之が為には、詐欺をも敢(あえ)てし、虚喝をも敢てし、時としては又窃盗をも敢てすることあり。』
ーーー #桐生悠々 明治44年(1911)12月2日 信濃毎日新聞 社説「新聞記者道徳」
『「独立の地位」は新聞記者にとって、何が故に夫ほど重宝なものであろう。雪隠(せっちん)の中にいるものは、糞尿の悪臭を感ぜぬが、雪隠の外にいるものは、鼻つんぼにあらざる以上、其悪臭を感ぜずにはおられぬ。之が即ち新聞記者 - 事実の真相を得て之を評する新聞記者 - に「独立の地位」なるものが、最も必要なる唯一の理由である、原因である、基礎である。当局者、従属者の語る所は、総じて偽(いつわり)である。利害関係の渦中(かちゅう)に投じているものは、大抵は其利害のために囚(とら)われて、事の真相を捉え得ぬ。偶(たまたま)其真相を得るものがあっても、之を明(あから)さまに発表する程の愚者はおるまい。』
ーーー #桐生悠々 明治45年(1912)5月 信濃毎日新聞 社説「独立者の語る真理」
2023年7月5日水曜日
2023年6月29日木曜日
2023年6月19日月曜日
2023年6月15日木曜日
2023年6月7日水曜日
2023年6月6日火曜日
2023年6月3日土曜日
2023年5月26日金曜日
施政方針演説
『我々が、今、目指している新しい社会は、不信と対立を克服し、理解と信頼をや培(つちか)いつつ、家庭や地域、国家や地球社会のすべてのレベルにわたって、真の生きがいが追及される社会であります。各人の創造力が生かされ、勤労が正当に報(むく)われる一方、法秩序が尊重され、自ら守るべき責任と節度、他者に対する理解と思いやりが行き届いた社会であります。
私は、このように文化の重視、人間性の回復をあらゆる施策の基本理念に据え、家庭基盤の充実、田園都市構想の推進等を通じて、公正で品格ある日本型福祉社会の建設に力をいたす方針であります。』(#大平正芳 『第87回国会における施政方針演説』から)
--- #中島岳志 #若松英輔 「いのちの政治学」 #2021/11/10
2023年5月21日日曜日
道徳
『道徳的行為と一般に呼ばれているものは、すべて、それがあらかじめ設定された規則に合致しているという共通の性質を有している。道徳的に振る舞うとは、一定も基準に従って行動することであって、この基準は、人がある行為をなそうと決心するまでもなく、すでにそれ以前に、特定の状況においてなすべき行為をあらかじめ決定しているのである。』 (#エミール・デュルケーム 「道徳的行為」麻生誠、山村健訳 2010年)
『学習指導要領』の徳目には「規則の尊重」「集団生活の充実」「社会正義」「国や郷土を愛する態度」などがあり、「自衛隊に入りたい」というのは立派な道徳的希望といえる。あらためて読み返してみると徳目には「反戦」「非暴力」などはなく、全体的に自衛隊への勧誘のようなのである。
2023年5月17日水曜日
2023年5月14日日曜日
子どもはその親の持ち物ではないのです
「子どもは親の持ち物ではありません。子どもの立場でなく、親の収入で区分するのは、そもそもの目標が違うのです。子どもたちを色分けすべきではありません。」
「子どもは親の持ち物ではありません。親の意志で自由にできるものではなく、子どもの人生を親が勝手に決めていいわけでもありません。子どもの人生は、子ども自身が決めるものです。」
--- #泉 房穂 「子どものまちの作り方」 #2019/02/10
2023年4月30日日曜日
2023年4月22日土曜日
2023年3月29日水曜日
官僚政治
多くの人たちの頼みごとを政治の上に、どんどん反映させようと努力すると、世間では「陳情政治」と批判する。代議士の中でも、ひとたび当選すると選挙区の方に背を向け、まるで中央官庁の代弁者気取りで、陳情に冷淡なものがいる。民主政治から陳情を除いたら、そこに残るものは、明治のはじめから築かれてきた官僚政治しか残らない。お役所という官僚の安住の地で考えられる政治は、大部分は彼らの勢力拡大の政治である。国民の税金で公団や公社をつくると、その幹部の大半はお役人。ある事業に許可を与えると、古手のお役人が何らかの形式で就職している。身を守ることに本能的に得意な彼らの頭脳から生まれる政策なり政治が、国民の多くの満足を得られるはずがない。
--- #大野伴睦回想録 #2021/03/25
2023年3月23日木曜日
校則のメッセージ
校則が持つ、隠れたメッセージはこうだ。みんなと同じように振る舞え。秩序を乱すな。変に目立つな。外見で個性を出そうとするな。作文で褒められる程度の個性でいろ。他人に面倒をかけるな。大人が求める「いい子」でいろ。
校則にはさらなるメッセージがある。理不尽には慣れろ。権威に従え。長いものには巻かれろ。文句を言うな。声を上げるな。周囲の人間が「ふつう」から逸脱(いつだつ)していないか、それぞれが監視し合え。
理不尽な校則を見直そうをいう活動をしていると、しばしば「社会は理不尽なもの。無菌室で育てられたら社会に出られない」というレスをもらう。校則をなくしたぐらいで無菌室になるほど世界は甘くはないのだが、ともあれそうしたコメントの主は、なるほどヒドゥン・カリキュラムの効果を、身を以て証明してくれている。社会が理不尽ならば、かえるのではなく慣れることが大事なのだと、その人は学んでしまったのだ。
ーーー #荻上チキ 「みらいめがね2」 #2019/09/16
2023年3月19日日曜日
学校
自分のことを守るためには「他人を適切に嫌いになる作法」が必要になると思う。教室という空間では、「みんなと仲良くしなさい」と言われるが、大人になってから、それは子どもを管理するための方便だったのだと知った。連帯責任という理不尽な罰則も、みんなの前で涙を流して反省させられるという羞恥刑も、教室という秩序を保つための儀式であって、人間である自分のために行われたものではない。
実際には、みんなが仲良くすることはできない。人は人を嫌いになるものだ。そして大人になるということは、嫌いな人と上手に距離を取る方法を学ぶことでもある。距離の取り方が不器用だと、人に生きづらさを押し付けることになる。
発達に凸凹がある、個性的な息子と娘。その振る舞いの全てが愛おしく誇らしい。息子も娘も、得意なことと苦手なことにムラがある。そうした個別の事情に、一斉授業を基本とする学校がミスマッチだなというのは、入学式の段階から悟ってしまった。上級生が「みなさん、にゅうがく、おめでとうございます(おめでとうございまーす!)」と唱和する。このマスゲーム。集団行動を求める謎の空間。昔から変らぬこの雰囲気。これを二人ができるようになるだろうか。いや、できるようになったとしても、それは何のためななのか、自分の学校後遺症が刺激される。
ーーー #荻上チキ 「みらいめがね」 #2019/05/24
2023年3月17日金曜日
議会運営そして政治家賞味期限
まずは女性が立候補しやすい環境を整えることが必要です。たとえば県外視察という名目でゾロゾロみんなで観光旅行に行くとか、飲み会ばかりの「宴会政治」をやめる。
議会の運営を変えなければいけないですよね。(略)年4回定例会があり、1回の定例会が2週間から3週間、場合によっては1ヶ月ぐらいある。ウィークデーの10時から17時まで拘束される議会に、勤め人は出られないでしょう。
権力の座に長いことしがみつくものじゃないです。やはり長くいすぎると目が曇ってきたり性格が歪んできたりしますよ。私は、知事になる時10年を超えたらいけないと思っていました。
政治は完成ということはありえないですよ。日々、新しい課題が出てくるから、種をまいて何年か後に刈り取るという繰り返し。任期中に新しい課題が必ず出てくるので、また種をまくんです。その刈り取りを待っていたら永遠にやらなきゃいけない。だから栽培中のものは次に託すしかない。
--- #片山善博 #週刊金曜日 #1416号
アメリカの音楽家
「バカなアメリカ人にはなりたくない
メディアに支配されるような国はごめんだ
あのヒステリックな音が聞こえるか?
いつの間にかアメリカは頭のなかを操られちまっている」
( #グリーン・デイ Green Day 「American Idiot」から)
最悪の状況から最善を生み出したい。なにもしないで文句を言うよりも、なにか美しいものを創造しよう
(「Sweetener」から)
「先人に対して私たちが示すことのできる最大の敬意とは、彼らを超えることなのです。」
( #チャンス・ザ・ラッパー )
「強い影響力をもつあなたには、声を上げる責務があります。なぜなら、人々は感じていることを明確にするために誰かを必要としているからです。」
( #トレント・レズナー Trent Reznor)
「政治家が公職に就き続けるためには票が必要なのです。そして、その票は国民から与えられるものです。」
( #テイラー・スウィフト )
「SNSを見ていると”なんで飛行機を利用してる奴が環境問題についてあれこれ言えるんだ?”みたいな投稿をよく目にするけど、”私が黙っていれば満足?誰もなにもしなくてそれでいいの?”って思っちゃう。」
( #ビリー・アイリッシュ )
「権力を持つ者に疑問を呈し、異議を唱えることを恐れてはいけない。私は、子供たちにそう教えていきたい。彼らがすることを問い、監視する。それが愛国者です。」
( #マーティ・マグワイア )
「#マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師 は、非暴力の哲学と規律について話していました。
彼は私たちが不正を容認するとき、私たちはみな共犯であると言いました。
彼は、いつか良くなるだろうと言うだけでは十分ではないと言いました。
彼は、私たちひとりひとりが立ち上がって自分たちの意見を発言する道徳的な義務があると言いました。あなたがなにか正しくないことを見たときに、あなたは声を上げなくてはいけないと言いました。そして、なにかをしなければならない、と。」
( #ジョン・ルイス )
ーーー #高橋芳朗 「ディス・イズ・アメリカ」 #2020/09/25
2023年3月6日月曜日
無知
私たちの社会は電気がなければ何もできない。電気はこんなにも身近なものなのに、結局、私たちが気にするのは電気代ぐらい。原発事故があったのに、依然として、電気の「コスト」について驚くほど無知で、無関心なままである。
牛は体重1キロを増やすのに、約10キロの穀物と2万2000リットルもの水が必要となる。
「結局はリサイクルされないものの方がサステナブル(持続可能)です。」( #皆川明 )
先進国がさらなる経済成長を求めることで、途上国の資源や労働力を奪っている。(略)途上国の人々は大量の二酸化炭素を排出していないのに、気候変動の影響を真っ先に受ける。彼らは先進国での政治的意思決定に関与もできない。これが「気候不正義」である。( #清野華那 :未来のための金曜日、FFF仙台)
繊維業の盛んな岐阜県にも多くの外国人がいる。つまり、「日本製」の洋服と言えば聞こえはいいが、その服を作っているのは、外国人技能実習生なのである。実際、メイドインジャパンなのに数千円の洋服を見たことはないだろうか。彼らはコストカットの「道具」であり、コロナ禍の不況で解雇される「雇用の調整弁」でしかない。
<明るいところから暗いところは見えへんけど、暗いところから明るいところは見える> (大阪住吉区 浅香地区)
復興とは「何事もなかった状態に戻す」ことではない。( #小松理虔 (りけん))
「成長と分配」のスローガンはたしかに魅力的だし、技術革新は便利で快適な生活を実現してくれるように見える。けれども、ウーバーイーツであれ、培養肉であれ、神宮外苑の再開発も、今のやり方の延長では、むしろ格差を広げ、自然を破壊し、消費的な生活を強化するだけの結果になってしまうのではないか。
命と自然を大切にしたいという思いで必死に有機栽培に取り組んできた人々が、再エネに反対しなければならないという悲しき構造を変えなければ、脱炭素化など絵に描いた餅にすぎない。
「男性優位がデフォルトの社会で、そうした社会に対する現状維持を意識的にも無意識のうちにも望むあまりに、想像力欠乏症に陥っている、そんな状態や人たちを私は「オッサン」と呼びたい」(「想像力欠乏症」 #佐藤千矢子 )
本当は「あるもの探し」をすべきなのに、いつまでたっても「ないものねだり」をやめないのは、過疎で苦しむ地方だけではない。欧米ばかりを見ている私も含めた左派も同じではないか。
--- #斎藤幸平 『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた 』 #2022/11/02
オリンピック って
「もはやオリンピックのための開発ではなく、開発のためにオリンピックを口実にしたのではないか」( #原口剛 (たけし):神戸大准教授)
お祭り騒ぎに便乗して納税者に負担を押し付けながら、政府の大型支出により特定の企業が潤うという官民一体型プロジェクト「祝賀資本主義」 ( #ジュールズ・ボイコフ )
選手たちは強さを価値だと見なすようになり、その結果、できない人々は劣った存在として差別されるようになる。コロナに感染した対戦相手のサッカー南アフリカ代表について、「(自分たちにとっては)得でしかない」と言い放った日本代表、久保建英(たてふさ)選手の言葉は象徴的だ。
2023年3月2日木曜日
私たちの生活
「こんな社会を作ったのは誰でしょう?自民党?違う!違う違う違う!私たちだ!その責任は政治家だけじゃない!みなさんにある!僕にある!」( #井出英策 )
「本当は、個人の人生は社会と切り離せないんですよね。それを実感したり想像したりする機会が少ないだけで、投票率が80%を超える北欧諸国では、自分たちの政治参加で社会がどう変わり得るかを学校でも家庭でも徹底的に教えるんですよ。投票率が高い国って、権力にとって国民が脅威なので、必然的に政治が健全になる。」(小川)
--- #和田静香 / #小川淳也 『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』 #2021/12/27
2023年2月28日火曜日
市民後見人の役割
成年後見にとって必要な人材は財産管理の専門家ではなく、福祉の専門家です。成年後見は福祉の分野であり、本来は法律家ではなく行政が担当すべきなのです。
‐ーー #長谷川学 #宮内康二 「 #成年後見制度の闇 」
2023年2月19日日曜日
リフレ派、反リフレ派
リフレ派に言わせれば「それでうまくいく」、反リフレ派に言わせれば「それはやばい、破滅への道だ」というのが、異次元金融緩和でした。現実には、どちらも起こりませんでした。成功もしなかったし、破局も起こらなかった。だからおそらく異次元なのは、私たちが置かれている今の経済環境、経済の仕組みのほうです。経済の現実が、既存の経済学の前提からはおそらくずれてきているのです。
保守
私の知る限り、日本のコロナ対策が迷走を続けている最大の理由は、官僚機構の機能不全と、その機能不全を解消しなければならない責務を本来背負っている政権の無能です。
鳩山、小沢の両名は、基本的にどちらも保守の系譜に属する人です。ところが保守の系譜に属するにもかかわらず彼らが異端だと言えるのは、戦後日本の保守がずっと維持してきた、良く言えば親米の路線、悪く言えば対米従属の路線を健全化させたい、相対化しなければ、といった考えをはっきり持っているからです。その点が、主流派の保守との根本的な違いです。
どう自己演出しようがこういう態度は自民党支持の継続に資するだけなので、実質的にはネトウヨと何も変わりません。
2023年2月15日水曜日
認知症でなくとも
実際に、アルツハイマー型認知症になっても、新しい人に出会って、その人と何度も接するようになると、海馬の萎縮のせいで、その人の名前はなかなか覚えられなくても、親しみは感じるようになります。新しい友達ができるのです。
認知症になっても、また、それ以外のどんな病気でも、人間が最後まで持ち続けるものがあります。それは自尊心です。
毎日確実に好きな餌が食べられることがライオンにとってよいわけではなく、何も食べられないかもしれないけれど自由に駆け回って、自分で探せることが、ライオンの幸福には重要だということです。
「家」が指し示しているのは、具体的な昔の家ではなく、「心が安心できる場所」なのです。
おいしい、おいしくない。これは食べてよい物か、いけない物か。そのような、生存においてとても大事な情報は、アルツハイマー型認知症の人は適切に判断できるのです。
大事な物が見当たらないときに、一瞬、自分以外のだれかのせいにすることは多いのです。なぜなら、私たちは「自分にとって大事な物を自分が失くしたりするはずがない」と思い込んでいるからです。
散歩は、外に一度出て帰ってくることによって、「自分がその日に有益なことをした」という達成感も作ってくれるかもしれません。
海馬の活動が弱まることで、扁桃体の活動が高まって、感情的に敏感になるとか、警戒心が強くなる、ということが起こるのです。
認知症に関係なく、人には、自分にとって必ずしもよいとは言えない状態を、このままでよいのだと正当化する心の働きがあります。「ストックホルム症候群」
意識的に新しいことを覚えることは難しくなっても、無意識的には体験は確実に積み重なって、脳の中に残るのです。
毎日いきいきと暮らせるのは、毎日がその人にとって特に意識することなくこなせるような、お馴染みの課題で満ちていて、簡単になっているからです。
今の自分にとって少しだけ難しいことに挑戦すると、生活の中に喜びが生まれ、自分にはまだまだ学習ができるということを信じられるようになります。
--- #恩蔵絇子 #永島徹 #なぜ認知症の人は家に帰りたがるのか #2022/07/10
2023年2月8日水曜日
文化の伝来
日本だって「儒教に支配され」てきた。
遣唐使時代の留学生や遣明使時代の禅僧たちは、仏教や儒教を伝えることで日本の伝統文化を作り上げてきた。中国だけでなく、韓国からも文化の伝来があった。このことをきちんと認識していない人たちが唱える嫌中論・嫌韓論は、ことわざでいう「天に向かって唾を吐く」ものである。( #小島毅 )
(令和の元号に関して)引用した万葉集の該当部分は漢文で書かれ、中国の詩文集『文選』などの影響を色濃く受けている。そもそも元号だって漢字だって中国由来なのだから、「日本の国柄」などと胸を張るより、多様な文化の交流が豊かな伝統をもたらすことこそこそを言祝(ことほ)ぐべきだろう。( #青木理 )
元徴用工にせよ、元慰安婦にせよ、日韓にくすぶる問題の大半は日本の植民地支配に端を発しているというのに、そうした歴史に関する真摯な考察はメディアの俎上(そじょう)にほとんど載せられない。( #保阪正康 )
韓国人知っている歴史と日本人が知っている歴史は違って当然なんですが、あまりにも知識をお持ちでない方が多すぎて、対話にもならないレベルのことが大半です。( #チェ・スルギ )
2023年2月1日水曜日
脱成長
「あなたたちが科学に耳を傾けないのは、これまでの暮らし方を続けられる解決策しか興味がないからです。そんな答えはもうありません。あなたたち大人が、まだ間に合うときに行動しなかったからです。」( #グレタ・トゥーンベリ )
人々は、理想の姿、夢、憧れを得ようと、モノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。その過程に終わりはない。消費主義社会は、商品が約束する理想が失敗することを織り込むことによってのみ、人々の絶えざる消費を駆り立てることができる。「満たされない」という希少性の感覚こそが、資本主義の原動力なのである。だが、それでは、人々は一向に幸せになれない。
2023年1月27日金曜日
学校教育
校則を「意味がない」と思っても、「意味がなくても決まったことだからやりなさい」と教え込まれる。意味がないシステムでも、頭の良い子たちは、それがどういうメカニズムで作動しているかはわかる。だから、そのシステムに適応して、そこで高いスコアを取ることができる。そういう生き方を子どもの頃から強いられている。「無意味耐性」の強い子どもほど学校教育で高い評価を得ることができる。「意味のないこと」に拒否反応を示してしまう子どもは学校からはじき出される。無意味耐性の高い子どもたちが優等生になり、無意味なルールや無意味な「ものさし」に耐えきれない子たちは不登校になったり、発達障害と呼ばれたりする。( #内田樹 )
#おしどりマコ 「なぜ、そんなに若いのにきちんと話せるんですか」
ドイツのある高校生「それでは日本では、いつからそういうこと(政治)を生徒は考えるんですか」
マコ「日本は、18歳から選挙権が与えられることになったので、18歳以上になってからかな」
高校生「え、それでは遅すぎますよね。選挙権を持ってから考えていたら遅いですよ。選挙権をもつ前から考えなくてどうするんですか」
--- #望月衣塑子 と 特別取材班 『安倍晋三 大研究』 #20190503
民主主義
公人としてふるまう以上は、自分の立場に反対する人を含めて、集団を代表しなければならない。どれほど多数派であっても、自分に賛同する人間の利害だけを代表する人間は「権力を持った私人」であって、「公人」ではありません。反対者を含めて全体を代表する、敵対者と折り合って統治するというのが民主制の統治原理です。( #内田樹 )
「私は中立です」「この件に関して私は賛成でも反対でもない」というような、口先だけの中立であるためには、知識も技術も要らない。それは単なる思考停止です。(内田)
合意形成とは、かかわっているプレイヤーたち全員の不満足の程度をだいたい同じくらいに均すことなんです。これを達成するためには、プレイヤーたちの一人ひとりにおける「ここだけは絶対に譲れないところ」と「この辺は譲ってもいいところ」の境目をよく見切って「灰色決着」における「灰色の明度」を揃えなければいけない。民主主義は技術がなければ運用できない複雑な仕組みなんです。それを単純に原理主義的に運用しようとするから、民主主義が機能しなくなる。(内田)
2023年1月22日日曜日
積極的公正・中立主義
「1992年度における言論機関への攻撃は1625件と過去最高であった。昨年1年間に殺されたジャーナリストは49人、いまなお獄中にあるものが90人である」(「国際ジャーナリスト連盟年次報告 1992年)
私のいう市民主権社会では市民が努力してそれなりの社会的地位を得ていくことは、それがだれに対しても出発の地点での平等な機会が民主的に保障され、くりかえし敗者復活戦が用意されているかぎり認める。が、ふつうの市民がいくら努力してもなれない地位や身分、男女差別などを認めるような社会をよしとすることはできない。このことから私の提唱する「積極的公正・中立主義」では、たとえばマスメディアがいわゆる「皇室報道」を売り物にして記事をつくりあげることを評価したりはしない。
--- #渡辺武達 「メディア・トリックの社会学」 #1995/05/20