2023年7月21日金曜日

新聞記者論


『新聞記者の職責や大なり。而(しこう)して新聞記者の任務やまた一にして足らず、精確なる事実の報道の如き、即ち其責務の最たるものなり。事実を報道する、用意なるが如くにして実は決して然(さ)らず。機敏なる観察と冷静なる判断力を以てするにあらざれば、事実は事実として決して記者の眼中に映(えい)ずるものにあらざるなり。・・・況(いわん)や他の記者を出抜(だしぬ)き、最も迅速に而して最も精確に事実を報道するの困難なるをや。是(これ)を以て、新聞記者の道徳は世の常の教条を以て律すべからず。彼は、此職務を遂行するに於(おい)て、勢い有らゆる道徳上の教条を無視せざるべからざる地位にあり。之が為には、詐欺をも敢(あえ)てし、虚喝をも敢てし、時としては又窃盗をも敢てすることあり。』

 ーーー #桐生悠々  明治44年(1911)12月2日 信濃毎日新聞 社説「新聞記者道徳」


『「独立の地位」は新聞記者にとって、何が故に夫ほど重宝なものであろう。雪隠(せっちん)の中にいるものは、糞尿の悪臭を感ぜぬが、雪隠の外にいるものは、鼻つんぼにあらざる以上、其悪臭を感ぜずにはおられぬ。之が即ち新聞記者 - 事実の真相を得て之を評する新聞記者 - に「独立の地位」なるものが、最も必要なる唯一の理由である、原因である、基礎である。当局者、従属者の語る所は、総じて偽(いつわり)である。利害関係の渦中(かちゅう)に投じているものは、大抵は其利害のために囚(とら)われて、事の真相を捉え得ぬ。偶(たまたま)其真相を得るものがあっても、之を明(あから)さまに発表する程の愚者はおるまい。』

ーーー #桐生悠々  明治45年(1912)5月 信濃毎日新聞 社説「独立者の語る真理」

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