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2024年1月10日水曜日

2020年12月5日土曜日

適応

 ある種の適応が、いかに短い繁栄とその後の長い困難をもたらすか。
感染症と人類の関係についても、同じことが言えるのではないかと思う。
病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対し中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性がある。


感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない。大惨事を保全しないためには、「共生」の考えが必要になる。重要なことは、いつの時点においても、達成された適応は、決して「心地よいとはいえない」妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえないということを理解することだろう。心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎないのだから。

---  山本太郎 「感染症と文明-共生への道」から 2011/06/21発行


2015年10月3日土曜日

火の無いところでも

「火の無いところに煙は立たない」なんてとんでもない。「火の無いとこでも焼け野原」ですよ。(山本太郎)

2013年11月27日水曜日

生き延びる その2

この国に人が住めなくなるかどうか、自分たちの子供が生きていけるかどうかって瀬戸際で、右も左もないやろと。もっと言えば、右翼って本来、国を愛する人、美しい国土を愛する人の集団なんでしょう?この状況に右翼が怒らんでどないすんねんと。脱原発の方向性が一緒やったら、僕は右翼だろうが左翼だろうが宗教だろうが、どこの集会でも顔出しますよ。

--- 『ひとり舞台』 山本太郎 から

表現する者

現状に異議を唱えず、できれば事を荒立てずに暮らしていきたいと思うのは、どの人も同じだろう。だが、表現者であるミュージシャンが判で押したように『自分達にできるのは歌うことだけ』と話し、アスリートたちが『頑張っている姿を見せて少しでも元気になってもらいたい』と口にするのを聞くと、気持ちは十分に分かりつつも、微かな違和感を覚える。本当にそれが一番大切なことなのか、もしかして、その言説に逃げ込んでしまってはいないか。歌であれ文学であれスポーツであれ、表現とは本来、もっと現実に向き合う力を持ち得るはずだ。

   ---  『ひとり舞台』 山本太郎 から


2011年11月19日土曜日

生き延びる

- 仕事が減ってまでして、なぜ活動を。

一番は自分が生き延びるため。究極のエゴです。
(略)
もう一度大事故が起きれば本当の終わりがやってくる。生き延びるためにはどうしたらいいかと考えた時、原子力に対してノーと声を上げるしか選択肢がなかった。

  −− 山本太郎 「北海道新聞2011/11/19 せいかつ」 から