2022年6月16日木曜日

私は私

 私たちは、「私は私」的なことをスローガンのように使う人を見かけると多くの人は「芯が強い」などと思うわけだが、実は、他者がどうであるかを気にしまくっているからこそ「私は私」と発するわけである。黒柳徹子はリアルに「私は私」だから、そんなことを口にしない。苦言も呈さない。周囲を気にしないから、ブレようがない。黒柳徹子は、「個性とは何か」「自分らしさとは何か」という問いかけ自体が、個性や自分らしさを遠ざけることを教えてくれる。 

ーーー  武田砂鉄 「芸能人寛容論」

2022年6月12日日曜日

好きだからやっているだけ

 世間の一方的な区分けをさまざま見せつけられるとき、自分たちの属しているチームと自分たちがそこでしている趣味の活動が、領域を蹴散らし、境界を曖昧にするのに一役買っているという自覚が生まれる。私たちが今やっている運動が「運動」になる瞬間だ。日常で個人が偏見と闘うためにできる運動とは、結局のところ偏見の対象を減らすことではないだろうか。「女子が〇〇をしてるだァ?」という文の〇〇に入る単語の数を減らすような。私と私のチーム、そして多くの女子サッカーチームの仲間たちは、〇〇から「サッカー」という単語をなくそうとしていることになる。
 本当はただサッカーが好きだからやっているだけで、それがたまたま運動になっちゃうわけだが、考えてみれば運動というのはすべてそういうものだろう。

--- キム・ホンビ 『女の答えはピッチにある』 20200810