2015年5月13日水曜日

日本の精神史

戦時の革新官僚であり開戦当時の大臣であった岸信介が総理大臣になったことは、すべてがうやむやにおわってしまうという特殊構造を日本の精神史がもっているかのように考えさせた。はじめは民主主義者になりすましたかのようにそつなくふるまった岸首相とその流派は、やがて自民党絶対多数の上にたって、戦前と似た官僚主義的方法にかえって既成事実のつみかさねをはじめた。それは、張作霖爆殺-満州事変以来、日本の軍部官僚がくりかえし国民にたいして用いて成功して来た方法である。・・・5月19日<安保強行採決の日>のこの処置にたいするふんがいは、われわれを、遠く敗戦の時点に、またさらに遠く満州事変の時点に一挙にさかのぼらした。私は、今までふたしかでとらえにくかった日本歴史の形が、一つの点に凝集してゆくのを感じた。(鶴見俊輔 六〇年安保闘争から)
   --- 小熊英二 『民主と愛国』から 

しかし岸さんのような人が出てくる根―これが結局、私たち国民の心にある、弱い心にある、依頼心、人にすがりつく、自分で自分のことを決めかねる、決断がつかない、という国民の、私たち一人一人の心の底ある―かくされているところのそれを、自分で見つめることがためらわれるような弱い心が、そういうファシズムを培ってゆく、ということを忘れてはなりません。(6月2日文京公会堂 竹内好 六〇年安保闘争から) 
   --- 小熊英二 『民主と愛国』から