2021年8月15日日曜日

その文化生活を問い直す

 だいたい電力が足りないから原子力発電所をつくるのだろうという発想が、そもそも間違っているんですよ・・・たとえば自動車メーカーが自動車をつくるのは、大衆が自動車を欲しているからですか。違うでしょう。自動車を売るために無理やりに購買力を煽り立てる。自動車道路をつくる。都市や生活の様式を自動車なしではやっていけないようにつくり変える。それが連中のやり口じゃないですか。必要だから自動車をつくって売るのではなく、売るために必要な状況をデッチ上げるんだ。(相沢広介 日銀記者クラブのキャップ)


私は火電建設反対運動の中で、もうこれ以上の電力は要らぬのだと主張し続けてきた。電力が足りないのだからといって造られる発電所が、さらに新たな電力需要を刺激するのであってみれば、これはもうとめどない増殖というほかない。その結果が、環境破壊であり石油乱費であり文化の不健康化である。されば、電力が足りないからといって発電所を造るのではなく、むしろ生活の方を変えるべきではないか。不便な生活に後退してもいいから、基本的な自然環境を譲りたいと私は考える。<松下竜一 暗闇の思想>


伊方町に行けば、堂々たる公民館、診療所、消防団格納庫、学校のナイター設備等々が立ち並び、いずれの建物にもこれが電源立地協力費によって建てられた旨を示す額が掲げられている。この盛り沢山の報酬を住民は絶えず意識せよとでもいったふうに。確かにこれは報酬である。原発という恐怖の報酬である。もし、政治というものがまことの姿勢を持つものであるなら、これらの建物は恐怖の報酬としてではなく、むしろこのような辺境地帯への政治の厚さとして、なんの代償もなしに与えられるべきはずのものではないのか。


--- 松下竜一 『平和・反原発の方向』 2009.6.17