2022年12月30日金曜日

自分事

 「東京に住む者の多くの人たちは、いずれ東京に地震が来るだろうと思っていますが、それで自分がやられるとは思っていない。いずれ原発の事故が起きるかも知れないと恐れている人も、わが身にチェルノブイリのようなことが降りかかるとは思わない。まあ、人間というのは、自分だけは別だと思いたがる生き物であります。」
#筑紫哲也 「多事争論」

「健康で文化的な生活の文化ってなんなんでしょうかねえ。本来は、食う・寝る以外の、人間が生存を維持する以外の楽しみとして行う活動が文化だと思うんですけど、でもそれは貧困であることを問題とする人間からすると文化ではなくて贅沢だって思われるんでしょうね。」
#鴻上尚史

「本来、この息苦しさを最初に感知するのはアーティストとかカルチャーなんですけど、炭鉱のカナリアじゃないですが、最初に悲鳴をあげるんですよね。「おかしいよ」って。でもよくわかんないけど、そういう悲鳴が聞こえてこない。」
#鴻上尚史

「市民が政治に参加してゆくことだけが、唯一政治に市民意識を取り戻す道ではないか」<全否定からは何も生まれない>
#菅直人

   ---  #金平茂紀 「筑紫哲也 『NEWS23』とその時代」 2021/11/01

2022年12月17日土曜日

良い人 って

良い人 ニアイコール どうでも良い人

良いメディア ニアイコール どうでもいいメディア

良い政治家 ニアイコール どうでもいい政治家

                                                                                       #宮台真司


2022年12月12日月曜日

平等と放置 前例のない事

 まず、行政は平等でなければならない。偏ってはいけないということは言われるのですね。でも、「平等になにもしない」というのでは平等とは言えないですよね。なにもしないというのは「放置されている」ということになりますよね。(#保坂展人 : #世田谷区長) 


前例のないことをやってきた、原動力とかそういうのはなんなんでしょうか。(#田中れいか)

これはどんな職業にも言えるかもしれないけれど、役所であっても国会議員であっても企業であっても同じだと思うけれど、自分たちがやろうとしていることの相手、対象を見ることです。
(略)
だから、社会的養護の中で進路をめぐって悔しい思いをしたり、悩んできた人がいるだろうということを想像するということかな。イメージして、そこから見てこう変われば少し可能性が広がるかもな、ちょっと明るくなれるかなということを考えて実行する、結果的に改善できる人がいるとうれしいというか。そういうことです。
(#保坂展人)

--- #田中れいか 「児童養護施設という私のおうち」 2021/12/21


参加することの意味

実際の寄付のお金も大事ですが、社会的養護の若者たちを迎える社会がどのくらい理解しているのかということが重要です。理解がないことによる壁が大きいと思うのです。差別したり遠ざけたり、そういう決して目には見えないけれど当事者本人たちが感じる壁があると思うので、その壁を崩していく、隔てるものをなくしていく、そのためにこの事業に参加・賛同してくださいねということです。それを知ったうえで、その金額がいくらであれ「自分はこれを応援するんだ」という気持ちで寄付するということが大事なのです。(#保坂展人)

自分たちがオーナーだというか、自分のお金のいくばくかが若者たちの役に立ったなと思ってくれれば、関係ができるし継続性があるかなと。(#保坂展人 : #世田谷区長)

ーーー  #田中れいか 「児童養護施設という私のおうち」 2021/12/21



2022年10月14日金曜日

歌というのは

歌というのは、

臆病者が、
強くなれるほど良い曲でなければならない。

又、

いかりに満ちている人々を、
笑わせるほどゆかいでなければならない。

そして、

心が冷え切ってしまっている人々の心を温かくさせ、
目に涙をさそうような曲でなければならない。

しかし、

一番重要なことは、
人々を、
たとえば、
子供でも老人でも、
すべての人々の心を、
つなげていけるものでなければならない。
(#ピート・シーガー)

( #小室等 #なまくらのれん #週刊金曜日 #1396号)

2022年10月9日日曜日

後になってからわかる

 声の大きい人が入り込んできて、「いつまでそんなことをやっているんだ。こっちも問題だろ」と比較を始める。比較をする人は、Aも問題だがBも問題だろうと突っ込んでくるのだが、だったら両方とも問題にすればいいのに、あら不思議、そのどっちらも問題にせず、ただAを消すためだけにBを使ったのだと、後になってからわかるのだ。

(#武田砂鉄 #今日拾った言葉たち #2022・9・17)

2022年8月2日火曜日

イエ中心主義

 自民党の「イエ中心主義」が、自民党憲法改正草案の前文および第24条に明確に現れていることや、故安倍晋三氏と関係があった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)および日本会議の価値観と強く結びついていることを、国民は知っておかねばならないからだ。

(略)
「個人」を核にして成り立つ社会とはどういう社会なのか。それは個人が自らの考えで、自分の生き方と、共に暮らす人と、その暮らし方と役割を決める社会である。結婚に誘導される社会でも、役割を押し付けられる社会でもない。

( #田中優子 #これからどうする #週刊金曜日 #1387号 ) 

2022年7月3日日曜日

想像力の欠如

星野源に乗っかった首相の動画に驚く。別に寬(くつろ)いだっていいけれども、あの動画を見た僕たちがどう感じるかを本人も周囲もわかっていないとしたら、その想像力の欠如が恐ろしい。想像力を欠いた人たちが未知の問題を解決できるのだろうか。 (浅生鴨)

「今は我慢しよう。でも、この自粛期間が終わったらあれをやろうこれをやろう」とつぶやく人たちの、未来の存在を決して疑わない姿をどのように見ているのだろう。 (浅生鴨)

『メルケルを466億で雇いたい』時事川柳だが、欲しいよねメルケル。彼女は東ドイツでの生活が長かったから、自由の尊さを知っているんだね。だから国民への制約は『絶対的な必要性がなければ正当化し得ない』としつつ、命を守るために『家にいてくれ』と演説したんだ。政治は言葉だね。一方、我が安--。(立川談四楼)

---  「仕事本 わたしたちの緊急事態日記」から

2022年6月16日木曜日

私は私

 私たちは、「私は私」的なことをスローガンのように使う人を見かけると多くの人は「芯が強い」などと思うわけだが、実は、他者がどうであるかを気にしまくっているからこそ「私は私」と発するわけである。黒柳徹子はリアルに「私は私」だから、そんなことを口にしない。苦言も呈さない。周囲を気にしないから、ブレようがない。黒柳徹子は、「個性とは何か」「自分らしさとは何か」という問いかけ自体が、個性や自分らしさを遠ざけることを教えてくれる。 

ーーー  武田砂鉄 「芸能人寛容論」

2022年6月12日日曜日

好きだからやっているだけ

 世間の一方的な区分けをさまざま見せつけられるとき、自分たちの属しているチームと自分たちがそこでしている趣味の活動が、領域を蹴散らし、境界を曖昧にするのに一役買っているという自覚が生まれる。私たちが今やっている運動が「運動」になる瞬間だ。日常で個人が偏見と闘うためにできる運動とは、結局のところ偏見の対象を減らすことではないだろうか。「女子が〇〇をしてるだァ?」という文の〇〇に入る単語の数を減らすような。私と私のチーム、そして多くの女子サッカーチームの仲間たちは、〇〇から「サッカー」という単語をなくそうとしていることになる。
 本当はただサッカーが好きだからやっているだけで、それがたまたま運動になっちゃうわけだが、考えてみれば運動というのはすべてそういうものだろう。

--- キム・ホンビ 『女の答えはピッチにある』 20200810



2022年5月19日木曜日

幸福をもたらすもの

 「われわれの前に立つ巨大な危機は、環境危機ではありません。政治の危機なのです。現代に至っては、この大きな危機をもたらした大量消費社会を政治はコントロールできていません。逆に、人類が消費社会にコントロールされているのです。わたしたちは、発展するために生まれてきたのではありません。幸せになるために、この地球にやってきたのです。発展は、幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、そして必要最低限のモノを持つこと。発展は、これらをもたらすべきものです。」(ホセ・ムヒカ ウルグアイ大統領)

「あなたがスーパーで買い物をするとき、あなたが払っているのはお金ではなく、あなたの人生の時間なのです。」(ホセ・ムヒカ ウルグアイ大統領)


2022年5月7日土曜日

殴る前にできたこと

 私は在宅介護をしているが、どうしても苛立ちがつのる時がある。その心理をみつめてみると、諸々の事柄への無力感である。とりわけ解決するためのコミュニケーションがとれない苛立ち、つまり理解しきれない自分への怒りだ。さまざまな怒りや苛立ちの背後には、相手を救えない自分への無力感があるのではないだろうか。だからこそせめて、相手を社会につなげる一歩を、踏み出す必要がある。 

ーーー  田中優子 「週刊金曜日 1360号」


群衆

 かつて政権を支持したあるいはかつて政権を支持しなかった自分は、何を根拠に支持/不支持だったのか、かつての自分は何であったのかーこの自らに振り向けられる内省の問いがない限り、主権者など存在しようがない。それがない限り、存在するのは、その時々のスペクタクルによって振り回される、換言(かんげん)すれば、広告屋と組んだ権力者がいとも簡単に操作できる群衆がいるだけだ。

ーーー 白井聡 「主権者のいない国」

無惨な有り様

 命ぜられた通りに「鬼畜米英!」と叫んだ同じ口が、命ぜられた通りに「民主主義万歳!」と唱え、「アメリカは素晴らしい!」と唱和するというこの光景の相変わらずの無惨な有り様、それが同じ空間を共有する人間として私には端的に我慢ならないのである。

ーーー  白井聡 「永続敗戦論 」

2022年4月18日月曜日

いくらでも変えられる

 法律や規則は、もともと誰か人間が作ったものですから、変えようとおもえば、いくらでも変えられます。

もし、法律や規則にふれさえしなければ、なにをしてもいいのだったら、法律や規則をかえられる力を持っている人間は、都合がわるくなれば、じぶんのやっていることはかえないで、法律や規則のほうを変えたら、それですむことです。いつでも、じぶんのやっていることは、法律や規則には少しもふれない。なんらやましいところはない、と大きな顔をしていられます。

(花森安治)

2022年4月17日日曜日

青い空が、タダだった

今年の正月、東京は晴れていた。
空が青かった。
むかしは、ほんとうに、空の色は、いつでも、こんなにきれいだったのだろうか。
信じられないくらい、青かった。
町に日が当たって、車がすくなかった。
ふだんの日曜日よりも、車は少なかった。
むかしは、たぶん、まいにち、東京の町は、こんなに、しずかだったのだろう。
(略)
むかしにくらべて、すこし、貧乏の度合が、ましになったのかもしれない。しかし、むかしは、あんな青い空が、タダだった。
ぼくら一人のこらず、青い空と、風にそよぐ樹木と、澄んで光る川を持っていた。

(花森安治)


2022年3月29日火曜日

初めから間違っている

 一番の問題は、人間が際限ない欲望をふくらませてエネルギーを使い過ぎたこと。根本的な問題はエネルギーを浪費する社会であって、それを軌道修正することが必要なのに、そこには触れないまま二酸化炭素が悪いから原子力がいいという議論がまかり通っている。(小出裕章)

--- チェ ソンエ 『歓喜へのフーガ 週刊金曜日 1370号』

2022年3月18日金曜日

スピード感

 「何かを言うことは最後通告のように行ない、実はそれが話のはじまりであることに気がつかないことが多いのではないだろうか。黙っているのではなく、もし、ものを言いはじめたのなら、そこから困難な話合いを続行してゆく覚悟が必要と思われる」(河合隼雄「こころの処方箋」)

「○○という意見も出ています」をやる限りでは、そうですか、そういう意見も出ていますか、で逃げられてしまう。なぜならば、その意見を発したのはアナタではないからだ。池上(彰)に「私はこう思う」だけを語ってほしいと思う。接続詞が沢山あってもいい。こちらにわかりやすく伝わらなくても構わない。それなりに難しくたって、こちらはこちらでそれを読み解こうと踏ん張るのだから、あまりこちらの理解を軽視しないでほしいとも思う。

「感」といえば、「スピード感」という言葉も連呼され、それは一向に、「スピード」が出ていない証左にもなった。「風を切りながら疾走しています」と「風を切るような勢いで疾走している感じ」では、天と地の差がある。なにせ、後者は疾走しちゃいないのだ。日本はこっちだった。

--- 武田砂鉄 『分かりやすさの罪』 2020/07/30

2022年3月17日木曜日

わかりやすい病

時代は流れて、今やスマホで検索。「わかる」から「すぐわかる」へと突き進んでいる。視聴者の「すぐわかりたい」に応えて、テレビマンは「すぐわかる」ようにする。「何が言いたいのかわからない」などと言われるのが怖くて、作り手は、口どけとノド越しを考え、食べやすいものばかりを出す。そうすると、視聴者の顎は退化して、嚙む力を失う。

---   阿武野勝彦 「さよならテレビ」 2021/6/15

2022年3月12日土曜日

いつか来た道

1932年、大日本帝国は勝手に「満州国」という国を作った。このとき国際世論の批判を浴びないよう、大日本帝国は瀋陽(しんよう)の柳条湖(りゅうじょうこ)で南満州鉄道の線路を自分たちで爆破し、それを「中国がやった」ことにして、それを理由に侵略したのである。

(略)

過去の栄光しか見えない指導者は未来を切り拓けない。豊かな縮小と連隊を創造できない人は、どこの国の指導者にもなるべきではない。(田中優子)

2022年3月3日木曜日

性急な姿勢

 「世界で生じている様々な混乱のほとんどは、ごく単純な二項対立をとりあえず想定し、それが対立概念として成立するか否かの検証を放棄し、その一方に優位を認めずにはおかない性急な姿勢もたらすものです。そうした姿勢は、それが当然だというかのように、他方の終焉を宣言することで事態の決着をはかろうとする」

ーーー  蓮實重彦(はすみ しげひこ)『齟齬(そご)の誘惑』

2022年2月18日金曜日

共感や理解

「 最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です。(略)心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかを知っているからです。」(スティーブ・ジョブズ)
勇気が要るのは子どもが「心と直感に従う」ことを周囲の大人が許さないからである。ものごとを始める時に、まず周囲の共感や理解を求めてはならない。(内田樹)
−−- 内田樹 凱風快晴ときどき曇りvol38 週刊金曜日 No.1365号


2022年2月14日月曜日

真摯に向き合っていた人

「今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、彼女が始めた政策によるものです。私たちは、どのように彼女を弔うべきなのでしょうか? 彼女の葬儀を民営化しましょう。競争入札にかけて、最安値を提示した業者に落札させるのです。きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう」(ケン・ローチ:映画監督)

 ーーー  イギリスのサッチャー元首相が死去した時に述べた映画監督ケン・ローチの言葉

2022年2月13日日曜日

ディプロマミル と ディグリーミル

 偽(非認定)大学から「正式な」学位を授与されるのが「ディプロマミル」

実在する大学の学位(学位記、すなわち卒業証書)を偽造して授与するのが「ディグリーミル」


ディプロマミルの中には、法の抜け穴を利用して自らの行為を正当化するものがある。例えば、日本の学校教育法の効力が及ばない外国(主としてアメリカ合衆国)に本拠を置くことを装ったり、授与するものは「学位」ではなく単なる「称号」や「商標使用権」である(「特許大学」の事例)とする、などである。

--- ディプロマミル 「ウィキペディア」

2022年2月4日金曜日

子どもは変わらない

子どもが変わってしまったなどという言い方をよくしますが、子どもは変わっていません。もともと激しく動き、激しく知りたがり屋で、激しくやってみて失敗し、やり直す。そういう存在です。(堀真一郎)

2022年1月31日月曜日

解毒する機会

私はコロナ禍という災厄を、日本の観光業が抱えている「毒」を解毒する機会と位置付けるべきだと考えます。

(略)

日常から離れて煩悩から解放される。そういった「特別感」は旅に欠けてはならないものです。コロナ前の日本ではこの旅がもつ「特別感」が残念ながら失われていました。

 全国の観光地がコロナ後にどのような観光の姿をめざすのか。それは国が決めることではなく、その地に住む人たちや観光業者、行政機関が話し合ってどのような道を選ぶのか、だと思います。

---  アレックス。カー(東洋文化研究者)

2022年1月28日金曜日

つなげる

 一人の高齢者が生きていくのに、実に多くの人と施設が関わっている。一人でおこなっていたことを、社会の仕組みにつなげてくれる人たちがいたことで、私は必要な判断ができた。
「公助」につなげることによってこそ、自助と共助の力が発揮できるのである。
   ーーー 田中優子 「つなげる 週刊金曜日1362号」

2022年1月24日月曜日

純情しかない

コロナ禍から地球が立ち直るためには何が必要か。それは純情しかない。純情が断固、自由を守る。

---  矢崎泰久 「話の特集 週刊金曜日1348号」

2022年1月16日日曜日

ドリンクバーで議論

酒飲みや嫌煙は思想とすぐに結びつくけど、下戸(げこ)は思想とは全く関係がない。健康問題でさえない。健康のために酒をやめる人はいるけど、下戸はそもそも何もやめていないのだ。部外者と言っていいい。


長渕剛「乾杯」の歌詞を読み返すと、なにで乾杯すべきかは一切書いていない。実は、酒を匂わす単語は皆無なのである。「遥か長い道のりを 歩き始めた 君に幸せあれ!」。この丁寧なメッセ-ジは「とりあえず乾杯しちゃいますか」という心性とは異なる。今そこで泥酔いしている上司はそういうことを言えない。泥酔する上司は、長い道のりを歩き始めた誰かの後姿を見つけても「幸せあれ」と送り出せずに「おい、こっち向け」とか言う。注ぐように強いる。いつまでも何かを強いる。

男の円熟味とは、決してバーのカウンターでは生まれないのだ。


(武田砂鉄『コンプレックス文化論』から)