2022年3月18日金曜日

スピード感

 「何かを言うことは最後通告のように行ない、実はそれが話のはじまりであることに気がつかないことが多いのではないだろうか。黙っているのではなく、もし、ものを言いはじめたのなら、そこから困難な話合いを続行してゆく覚悟が必要と思われる」(河合隼雄「こころの処方箋」)

「○○という意見も出ています」をやる限りでは、そうですか、そういう意見も出ていますか、で逃げられてしまう。なぜならば、その意見を発したのはアナタではないからだ。池上(彰)に「私はこう思う」だけを語ってほしいと思う。接続詞が沢山あってもいい。こちらにわかりやすく伝わらなくても構わない。それなりに難しくたって、こちらはこちらでそれを読み解こうと踏ん張るのだから、あまりこちらの理解を軽視しないでほしいとも思う。

「感」といえば、「スピード感」という言葉も連呼され、それは一向に、「スピード」が出ていない証左にもなった。「風を切りながら疾走しています」と「風を切るような勢いで疾走している感じ」では、天と地の差がある。なにせ、後者は疾走しちゃいないのだ。日本はこっちだった。

--- 武田砂鉄 『分かりやすさの罪』 2020/07/30

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