2008年7月17日木曜日

称賛の「カンバン方式」の現実

コストダウンのため、大和自工は倉庫も在庫も一切持たず、部品業者は大和自工の日々の生産に必要なギリギリの量を、必要な日時きっかりに、直接それぞれの 生産現場に搬入せよ、という「恐ろしいほどの合理化」方式で、巨大メーカーの下で「より大きな沈黙を強いられる下請け」に、さらに犠牲を求めるものであ る。指定時間に遅れてはならず、安全を見込んで早く行っても、15分以上早いと守衛が工場の門を通してくれない。

   城山 三郎「勇者は語らず」 から

城山三郎 -Wikipedia
農場日誌 旗

2008年7月13日日曜日

荒井 伸也

自分の会社以外の世界を知らず、自分の会社のなかでの昇進のみに興味を持ち、話題は会社内の人々の噂話だけ。こうなると、もう会社から離れては生きていけない。まるで家畜なサラリーマン、いわば社畜ができあがる。
   ---「いま、この人を見よ 佐高信」   荒井 伸也 から

荒井 伸也 -Wikipedia
荒井 伸也 コラム

2008年7月11日金曜日

湯浅 誠

誰もが立派に守られてきた。国が守ってくれない分、企業と家族が守ってくれた。しかし今、企業は社宅などの福利厚生を大幅に削っている。家族も支えきれなくなっている。従来の「日本型福祉」は生きづまっている。

生活保護を受けるかどうかは、プライドの問題ではない。命の問題だ。生活できなくて、しかも死にたくなければ、最後の最後には生活保護で生活を支えるほかない。

「努力した人が報われない社会はおかしい」と言われれば、みんな賛成する。でも実は「努力した人」かどうかは、結果が出ているかどうか、報われているかどうかで計られている。だからこの努力観の下では、すでに報われている人たちだけが「努力した」と認められる。

生活保護基準以下で暮らす人全体のうち、実際に生活保護を受けている人がどれだけいるか、その割合を「捕捉(ほそく)率」という。
イギリスの捕捉率は90% ドイツは70%といわれている。では日本は? 調べていない。日本政府は日本の生活保護の捕捉率がどれくらいか、1966年から40年以上調べていない。

寄せ場は衰退したのではない。山谷や釜ヶ崎といった名のある寄せ場が衰退したかわりに、郊外のターミナル駅や地方都市、全国津々浦々に名もない寄せ場が出現した。これは寄せ場の”発展”である。

<貧困>者の間に格差(違い)があれば、低いほうに合わせる。これが政府の鉄則だ。「本当にそれで暮らしていけるのか?」「それで人間的な暮らしを保障したことになるのか?」といった疑問は最初から封じられている。

「バカな。今利益を配分しちゃったら、企業が倒れて、あんたたちだって路頭に迷うんだよ」と彼らは言う。企業が倒れても、私たちがきちんと暮らしていけれ ば問題はないはずだ。私たちは安心して生きていくために働いている。そもそも、暮らしと会社が運命共同体などもう古い、使えなくなったら捨てる、生活の面 倒を見るのは会社の役割ではない、と経営者のほうがいっているんじゃないか。

アメリカには「生活賃金(リビング・ウェッジ)条例運動」というものがある。公機関(地方自治体)が契約する民間企業は、生活できるだけの賃金を労働者に 払っていなければならない、というところから出発した。自由競争に委ねれば、安いところが落札するに決まっている。そのしわ寄せは働いている人たちに来 る。

「本当に困っているのか」「本当にいきたいのか」を徹底的にふるいにかけられるのが福祉事務所だ。これが「水際作戦」と呼ばれる手法である。

財源論は強い者がお金を使うときには出てこない。弱い者が使うときだけ「そんなお金、どこにあるんだ」と出てくる。

消費税を3%から5%にしたときと同じだ。あのときも社会保障のお金が足りないから、消費税を増やすほかない、と言っていた。では、消費税は社会保障のために使われたのか。違う。消費税は事実上、法人税引下げを補完する財源として使われた。税収グラフを見れば一目瞭然だ。

本来「自助や共助では対応できない」と定義された公助領域からの撤退によって、あとに<貧困>が取り残されるという事態だ。進行しているのは美しくも何ともない「公助」の放棄=おきざりなのに、これは地域住民の「共助」の問題です、と問題をすりかえようとしている。


ウィキペディア日本語版 湯浅誠
特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい