2015年7月19日日曜日

思想と信心

人が個として民主主義社会に生きていくのであれば、公の発言から何かの運動に至るまで、その矛盾の幾重もの襞(ひだ)のあいだから言葉と行動を選び、躊躇しながら力強い言葉にしなけらばならばない。何らかの「恥」があって当然なのである。だから異なる考えに耳を傾け、異質な者を受け容れ、しかし「自分」をやめるわけにはいかないように、行動と発言をやめることはない。
 その反対に自分を疑うことなしにひたすら正しいと思い込み、悪いのは自分以外の何者かであると信じ、それに対する攻撃の手をゆるめないもの、それは運動ではなく「暴力」と呼ぶべきだろう。様々な理屈をひねり出したとて、それは思想ではなく信心である。
   ---   田中優子「そろそろ社会運動の話をしよう」から

2015年7月14日火曜日

およそ5000万人

およそ5000万人が死んで、今の日本国憲法は生まれた。
「たとえ戦争になっても、戦いに行くのは他人」だと、思っていませんか?
見上げれば 爆撃機が飛んでこない 青い空
戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいる人は、今のうちに、いろいろ聞いておこう。
悪いトコを捨てられない。いいトコを捨てようとする。日本ってどういう国なんだ。
こういう本が、出しにくい時代になる前に。
例外は例外を生み、やがて、例外は例外でなくなる。
そして、子孫から恨まれよう。  (前田知巳)

本当に怖いことは最初、人気者の顔をしてやってくる。 (前田知巳)

   ---   天野祐吉の「広告かわら版」から



2015年7月13日月曜日

知らぬ間に

さあ、戦争をしようと始まる戦争などありはしない。70年前、沖縄を捨て石にした戦争指導者がいる。今のお上、最高指導者たちと、仕組みも体質も変わっていない。
 いざ開戦となってしまった時、引き返す手立てはない。そして国は国家を守る。
   ---  野坂昭如「俺の舟唄」12 から

演説家が戦う愚か者にむかっていくら檄をとばそうと、いくら高貴な戦争目的を掲げようと、戦争を始めるのにはぜんたい一つの理由しかありません。それは金です。戦争の現実はすべて金をめぐるけんかです。   --- 「風と共に去りぬ」から

2015年7月8日水曜日

旧敵国

国連憲章には旧敵国条項っちゅうのがあって、連合国の昔の敵である日本はまだ旧敵国のままですねん。これは、日本とかドイツとか、イタリアとかが、よそさんの国を侵略するような行動したり、国際秩序の現状を破壊するんちゃう?って思われたら、国連に入っている国々は安保理すっとばして独自の軍事行動を旧敵国に対してとれますねん。

15日の終戦の時の玉音放送で天皇さんが「朕はついに国体を護持したえ」って言うてはることからも、まだ国体の護持は大事やってんなぁってわかりますわ。
『「国体の護持」 : そのときの国体っちゅうたら、大日本帝国憲法のもとで主権者で、なおかつ神さんやった天皇さんのことですわ。』

戦前に政治犯やっちゅうて逮捕されてた三木清さんってお人が、戦争終わったのに牢屋から出してもらえることなく、牢屋の中で亡くなりはりましてん。それを外国の記者さんがスクープしはりましてな、おいおい、日本政府ポツダム宣言守ってへんがなってバレましてん。

「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」 谷口真由美 から


国際連合憲章