「後ろめたさ」が高じれば、頑張っている人の足を引っ張るような悪意につながりかねない。そうした心の動きをニーチェは「やましい良心」と言った。自分の「正しさ」を絶対視し、周囲に強要するような人間をヘーゲルは「徳の騎士」という言葉で考察した。
--- 岩永芳人 『やおいかん 熊本地震 復興への道標』から
森の中に住む猫の頭の片隅にあること。
起きうる問題がN個あれば、それぞれの問題が「起きる/起きない」の二つの場合しかないとしても、その組み合わせは二のN乗である。Nが少しでも大きくなると、その値は爆発する。起きうる問題が50個あればその組み合わせは、2の50乗、すなわち
1,125,899,906,842,620 通り
である。これはどういう数かというと、不眠不休で1秒間に一つ数えるとして、数え上げるだけで3570万年以上かかる。それらのすべてに事前に練り上げた計画を立てるためには、地球誕生の瞬間から現在までやってもまだ間に合わない。このような計算量の問題は回避不可能である。その上、事態1の起きる確率と事態2の起きる確率が独立であるという保証はどこにもない。事態1が起きたら事態2の起きる確率が上がるというケースが往々にしてある。落ちるはずのないロケットが落ち、起きるはずのない原発事故が起きる理由はここにある。もともと不安定で制御困難な社会へのはたらきかけに同じアプローチを適用するのは無謀である。