2020年8月19日水曜日

やましい良心  と 徳の騎士

 「後ろめたさ」が高じれば、頑張っている人の足を引っ張るような悪意につながりかねない。そうした心の動きをニーチェは「やましい良心」と言った。自分の「正しさ」を絶対視し、周囲に強要するような人間をヘーゲルは「徳の騎士」という言葉で考察した。

--- 岩永芳人 『やおいかん 熊本地震 復興への道標』から



2020年8月15日土曜日

回避不可能

起きうる問題がN個あれば、それぞれの問題が「起きる/起きない」の二つの場合しかないとしても、その組み合わせは二のN乗である。Nが少しでも大きくなると、その値は爆発する。起きうる問題が50個あればその組み合わせは、2の50乗、すなわち

1,125,899,906,842,620 通り

である。これはどういう数かというと、不眠不休で1秒間に一つ数えるとして、数え上げるだけで3570万年以上かかる。それらのすべてに事前に練り上げた計画を立てるためには、地球誕生の瞬間から現在までやってもまだ間に合わない。このような計算量の問題は回避不可能である。その上、事態1の起きる確率と事態2の起きる確率が独立であるという保証はどこにもない。事態1が起きたら事態2の起きる確率が上がるというケースが往々にしてある。落ちるはずのないロケットが落ち、起きるはずのない原発事故が起きる理由はここにある。もともと不安定で制御困難な社会へのはたらきかけに同じアプローチを適用するのは無謀である。

--- 安冨歩 「複雑さを生きる やわらかな制御」

少数の理性を持つ者が社会を制御しうるという理論は原理的に間違っている。このような意味の理性などというものはそもそもありえない。理性を活用してものごとを深く観察し、理解しようとしても、無限の多様性を持つものを有限の記述によって処理することはできない。たとえうまい記述に到着したとしても、そこに非線形性が介在しておれば、適切な近似を得るために初期値を無限精度で設定する必要が生じる。無限精度で初期値を設定するとは、軌道を無限の先まで知っていることと等価である。つまり、あらかじめすべてのことがわかっていれば予測できる、という無意味なことになる。それ以外にも計算量爆発という問題がある。ある事態が「ある」か「ない」かであるという単純な場合を想定してさえ、N個の要素が関与しておれば、可能な組合せは2のN乗になる、というあの回避不可能な罠である。

--- 安冨歩 「複雑さを生きる やわらかな制御」