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2023年1月27日金曜日

宗教団体

宗教が人間存在の意味を問い続け社会的弱者に寄り添うのであれば、反体制になるのは当然である。しかし、実際に「宗教団体」がその存在をかけて反体制であっただろうか。沖縄の現実に向き合い基地に反対した宗教団体はあったか。そもそも戦時体制を支えたのではなかったか。反体制であり得たのはマザー・テレサやガンディーや中村哲など個人の信仰者であり、宗教団体ではなかったのではないか。

---  #田中優子 #これからどうする #週刊金曜日 #1409号

2022年8月2日火曜日

イエ中心主義

 自民党の「イエ中心主義」が、自民党憲法改正草案の前文および第24条に明確に現れていることや、故安倍晋三氏と関係があった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)および日本会議の価値観と強く結びついていることを、国民は知っておかねばならないからだ。

(略)
「個人」を核にして成り立つ社会とはどういう社会なのか。それは個人が自らの考えで、自分の生き方と、共に暮らす人と、その暮らし方と役割を決める社会である。結婚に誘導される社会でも、役割を押し付けられる社会でもない。

( #田中優子 #これからどうする #週刊金曜日 #1387号 ) 

2022年5月7日土曜日

殴る前にできたこと

 私は在宅介護をしているが、どうしても苛立ちがつのる時がある。その心理をみつめてみると、諸々の事柄への無力感である。とりわけ解決するためのコミュニケーションがとれない苛立ち、つまり理解しきれない自分への怒りだ。さまざまな怒りや苛立ちの背後には、相手を救えない自分への無力感があるのではないだろうか。だからこそせめて、相手を社会につなげる一歩を、踏み出す必要がある。 

ーーー  田中優子 「週刊金曜日 1360号」


2022年3月12日土曜日

いつか来た道

1932年、大日本帝国は勝手に「満州国」という国を作った。このとき国際世論の批判を浴びないよう、大日本帝国は瀋陽(しんよう)の柳条湖(りゅうじょうこ)で南満州鉄道の線路を自分たちで爆破し、それを「中国がやった」ことにして、それを理由に侵略したのである。

(略)

過去の栄光しか見えない指導者は未来を切り拓けない。豊かな縮小と連隊を創造できない人は、どこの国の指導者にもなるべきではない。(田中優子)

2022年1月28日金曜日

つなげる

 一人の高齢者が生きていくのに、実に多くの人と施設が関わっている。一人でおこなっていたことを、社会の仕組みにつなげてくれる人たちがいたことで、私は必要な判断ができた。
「公助」につなげることによってこそ、自助と共助の力が発揮できるのである。
   ーーー 田中優子 「つなげる 週刊金曜日1362号」

2021年11月14日日曜日

鎖国を悪とする背景

よく言われる日本の島国的・鎖国的な発想というのは、江戸時代ではなく、この時代(秀吉の朝鮮・中国・東南アジア諸国一帯のアジア支配という構想)にこそあったのです。またこれは、欧州の植民地拡大の発想と同じ価値観です。さらに、米国のフロンティアの考え方と同じです。秀吉がポルトガルやスペインの実際におこなっていたことを、知らなかったはずはありません。

江戸時代の技術も、近代日本の技術も、秀吉のもくろみが失敗し、アジアの物資を手に入れられないことから始まったのでした。他者のものを奪うことができず、自ら生み出すほか方法がないからこそ、技術開発が興(おこ)ったのです。自らの無能を自覚してこそ、創造力が培(つちか)われたのでした。

江戸幕府は、俘虜(ふりょ)の人々を隠すこともなく、彼らが帰国するもしないも本人の意志にまかせていたのでした。開かれて間もない江戸幕府は、本気で朝鮮との国交回復を望んでいたのです。

日本人武将が強制連行してきた朝鮮の人々の中には、知識人もいれば、陶磁器の職人もいました。約10万個の銅活字と印刷機材をソウルから盗んで来たと言われていますから、印刷職人も連れてきた可能性があります。このように野蛮で不当な手段をとったのですが、結果的に江戸時代の基礎に朝鮮の人々の技術がしっかり根付き、江戸時代をはぐつむ土の役割を果たしたのです。

琉球は1372年から、中国の冊封国(さくほうこく)です。その冊封制度のもと、マラッカ(マレーシア)、シャム(タイ)、パタニ(タイ)、ジャワ(インドネシア)、スマトラ(インドネシア)、パレンバン(インドネシア)、スンタ(インドネシア)、安南(べトナム)、朝鮮、日本に貿易船を派遣し、アジアでも有数の貿易国でした。その豊かな国を、薩摩藩は狙ったのです。これは秀吉が朝鮮に侵略したのと同じ、外国への侵略と植民地化です。

明治維新後の1872年、琉球は琉球藩となりました。さらに1874年、明治政府が廃藩置県をによって県に変更し日本国に組み入れようとしたので、強い抗議が起こりました。1879年、日本は約300名の兵士と160名あまりの警察で琉球に入り、尚泰王(しょうたいおう)に首里城を明け渡させ、ここに沖縄県が成立しました。こうして琉球は独立王国の幕を閉じたのです。

沖縄は琉球国という外国であり、日本はその琉球を植民地化し、やがて米国に差し出したのです。このことは、江戸時代に緊密な関係を築いていた朝鮮を、1910年に植民地支配したことと合わせて考えるべきです。

日本は当時、あまり技術力も無く、銀だけに頼って中国の技術生産品を買っていたのです。そのまま勝ち続けていたら、日本には職人が育つことはなく、近代以降の技術も持つことはできなかったでしょう。しかも銀は完全に枯渇し、貨幣も造れなくなっていたでしょう。つまり、「負け」と思われたときが、新しい仕事を作るチャンスなのです。江戸時代日本は、その機会を手にし、実際に新しい時代を作ったのです。新しい一歩を踏み出すことは、依存から抜け出すことでもあるのです。

江戸時代のいわゆる「鎖国」に終止符を打った「開国」は、産業革命後の市場を求めるアメリカ、ヨーロッパによって迫られて起こりました。しかし江戸時代の始まりは外圧ではなく、むしろ外圧を回避し、従来の拡大主義を収め、自国生産へ転換することでなされました。


教科書で使われている「鎖国」という言葉には、いくつかの問題点があるのです。

 第一に、「開国」を善で「鎖国」を悪とする背景に、無条件の欧米崇拝がひそんでいることです。そこには、江戸時代に深く長い交流があったアジア諸国への蔑視(べっし)や無視が見られます。第二に、拡大、雄飛(ゆうひ)、外へ出る、ということが価値あること、とされています。そこには、縮小、収めること、内へ向かうこと、への軽視が生まれます。その果てに植民地争奪戦に巻き込まれ、欲望を肥大化させ、環境破壊の先頭を走ることになりました。江戸時代の縮小、収(治)めること、内へ向かうことの意味を、もう一度考え直さなくてはなりません。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

使い捨て

 使い捨てをしないのは単に金額の問題ではありません。江戸時代の「もの」の感じ方は「同じものがない」ことに由来する、個性への愛着なのです。

着物が世界を巡りながら地上と地中を循環していたように、陶磁器もまた世界を巡りながら、人から人へ受け渡され、最後はふるさとである土に還ります。漆もまた、すべての木の成分でできていますから土に戻ります。食器であってもプラスチックではこうはいきません。

現在の紙は、1ミリか二ミリぐらいのパルプの繊維でできていますが、和紙は10ミリ以上の長い繊維でできています。しかも薬品は添加されていませんので、漉き返しは容易で環境にも問題ありませんでした。そもそも和紙の原料のコウゾやミツマタは一年草で、長いあいだ育てた木材から採るわけではありませんでした。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

ゴッホと広重

 広重の『名所江戸百景』の特徴は、描かれているものが見る人の視線の「出発点」であって、そこから人はむしろ描かれていない江戸の空間に、想像力を引っ張ってゆく仕掛けなのだ、とわかります。しかしそういう仕掛けは「額」の存在を前提にしている十九世紀の西洋絵画の視覚では、なかなか理解できなかったと思います。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

2020年10月7日水曜日

世渡り

買えば買うほど景気が良くなるのだから買い物しましょう、と呼びかけるが、どう考えてもそれはおかしい。景気が良くなる人もいるかも知れないが、買い物した本人の財布からはお金がなくなる。それに乗ってはいけない。だからまず、私たちがやらねばならないのは、世間に惑わされる弱い自分を救うことだ。自分を救う道は「始末」と「才覚」である。極めて簡潔(かんけつ)なのだ。

「生の鯛でも干した鯛でも塩鯛でも、祝う心は同じ」「今日の腹も、普段の腹も、腹は同じ」と諭(さと)すところである。「祝う心」さえあれば金を使う必要はない、という意味だ。


 人を使うとは、実は人を育てることなのだ、ということがわかってくる。人を雇うとは、金を払って自分のしたくないことをやらせることではない。一人前の人間をたくさん作る、いわば社会のための仕事が、仕事の重要な側面なのである。


--- 田中優子 『世渡り万の智慧袋』


2015年7月19日日曜日

思想と信心

人が個として民主主義社会に生きていくのであれば、公の発言から何かの運動に至るまで、その矛盾の幾重もの襞(ひだ)のあいだから言葉と行動を選び、躊躇しながら力強い言葉にしなけらばならばない。何らかの「恥」があって当然なのである。だから異なる考えに耳を傾け、異質な者を受け容れ、しかし「自分」をやめるわけにはいかないように、行動と発言をやめることはない。
 その反対に自分を疑うことなしにひたすら正しいと思い込み、悪いのは自分以外の何者かであると信じ、それに対する攻撃の手をゆるめないもの、それは運動ではなく「暴力」と呼ぶべきだろう。様々な理屈をひねり出したとて、それは思想ではなく信心である。
   ---   田中優子「そろそろ社会運動の話をしよう」から

2012年11月13日火曜日

どうやったら伝わるのか

どうやったら伝わるのか、私たちは勘違いしているところがあります。言葉で言えばいいと思っている。デモでたくさん人数を集めればいいと思っている。それだけでは伝わらないのです。
  ---  田中優子(金曜日918号「毒死した万物の声に身悶える」) から

2012年3月24日土曜日

一人で生きられる能力

江戸時代の人間にとって能力というのは、一人で生きられる能力なんです。孤立したとしても食べ物を作れるし家も建てられる。着物も蚕を育てるところからできる。衣食住すべて一人でできる。
  --- 田中優子 「金曜日887号 現代文明へ、野草からの手紙」 から

2011年8月7日日曜日

属人的ではなく属事的に考える

自分の意見と反対の意見がある場合、単にその事実を受け容れればよい。必要ならばその理由を冷静に聞けばよい。しかし自分の考えに自信が持てずに混乱している人は、意見と属性(人種、民族、国籍、男女、党派、学歴、職業など)を結びつけることで自分を安心させようとする。決断しなければならない局面では、人間のそういう弱さが出る。
-- 「風速計」田中優子から 

2007年3月24日土曜日

田中 優子

人間の持っているいい側面を育てようとか、自分のいい側面を伸ばそうと考えるのが君子なんです。その反対のことをするのが小人です。そういった小人は、そのへんのおじさんとして暮らす分にはもちろん構いませんが、為政者になってはいけない。
- 週間金曜日 No.647
  対談 「小人が知事になると不善を為す」 田中優子 から -