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2024年2月2日金曜日

箍をはめる

 『「昼は立ち食い蕎麦で、飲みに行くのも居酒屋で割り勘。スーツなんてもう何年も同じものを着ているよ」というお父さんも珍しくありません。
 つまり、結婚は男性の消費活動に急ブレーキをかけるのです。その一方で、高等教育を受け、経済の循環の一端を担っていた女性の「標準労働者」がひとり消えます。これではどう考えても、経済にとってプラスになっているわけがありません。
(略)
 たしかに、主婦の消費が、日本の内需を一定部分支えているのはまぎれもない事実です。 しかし、彼女たちの消費行動は、彼女たちの生き方と同様に、自由を奪われ、「箍」をはめられたものだということを付記しなければなりません。』


『タガメ女たちの子育てについては、子どもが幼いときにはママ同士の仲良したちが集まって、子どもを「遊ばせる」という方式がとられます。そこにはもちろん、子どもたちの意志はありません。ママが決めた相手とママの監視下で遊ぶ。タガメ女たちの「約束」のうえでしか「遊ぶ」という権利が認められていないのです。このようなタガメママは、子どもが小学校に上がってからも、自分が「あの子なら安心」と許可をした相手としか遊ぶことを許しません。これこそタガメ女の真骨頂で、つき合う友だちさえも「箍」をはめてしまうのです。』

---   #深尾葉子 #日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 #2013年4月22日

2018年9月17日月曜日

呪縛 そして 集団的呪縛

「呪縛」とは「不条理」な「虚像」や「心情」にしがみつくことであり、自らが意識せずに取り込んでしまい、離脱しようとすると、強い罪悪感が喚起(かんき)されるある種の「規範」や「信条」を示す。「集団的呪縛」とはそれが「集団」によって共有され、再生産され、集団の構成員に強要され、なおかつ外的状況が変化し、集団の構成員や集団の存続に明らかに不利な働きをすることがわかっていても依然として、その集団によって「継承」「共有」されることをいう。そこから離脱しようとするものは「共同体の制裁」と「非難」に遭い、強い罪悪感を抱かされ、苦悩する。


原発に反対する人はしばしば、「福島原発事故は共同体を破壊し、家族を破壊した」と指摘する。しかし実のところ、原発事故が破壊したのは「政府や科学技術への信頼」という「人知」にもとづいた「かりそめの共同体」に過ぎない、と言うべきかもしれない。そもそも反対意見の封じ込め、排斥し、地域振興とばかりに10基もの原発を地域内に招きいれ、いつ起こるとも知れない事故と隣りあわせで、いかに「平和」な「地域社会」や「家族」を作り出しても、それは「砂上の楼閣」のごとき「見せ掛け」であることを我々は認めなくてはならない。現代日本社会はまさに、この「砂上の楼閣」を「繁栄」であると読み替えてきたのである。

  ---  深尾葉子 『魂の脱植民地化とは何か』から

蓋の上の人格

これまで「逃げること」ばかり考えていた過去の自分に別れを告げ、はじめて「守りたいもの」のために戦うことに喜びを見出すハウルは、一見「変身」したかに見える。しかし呪いの秘密が解けないまま、戦いによって平和を得ようとするその姿は、実は何一つ変わっていない。これまでと同じ扉に、入り口の色を新しく変えて、出てゆく空間を取り替えることで「蓋の上の人格」の一部を入れ替えただけである。(ハウルの動く城)
  ---   深尾葉子 『魂の脱植民地化とは何か』から