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2021年3月1日月曜日

自然との共生

樹種の多様性、個体の多様性、つまり多様な個性を一顧(いっこ)だにせず、皆同じ規格で同じ塗装で、機械でササッと作ろうとする。そうしたものは、なぜか”早く飽きる”。愛着が湧かないまま、捨ててしまったことさえ覚えていない。多分、木が育った情景も知らなければ、誰がどのように作ったのかもわからないからだろう。

本来、山間地周辺の森林はそこに住む人たちの環境を守り、地域の経済を支えるためにある。燃料会社、発電会社のため、街での快適な生活のため、地球温暖化の元凶ともなる放逸(ほういつ)な消費生活のツケを払うために里山があるのではない。里山の仕組みを知り、作業のキツさを知る山間部に住む人のためにあるのだ。

クマが人里に下りてくるのは、山に食べ物が少ないためだけでなく、何よりも山里の活力が低下し人間が怖くなくなったためである。林業や林産業が活発になり山間地に多くの若者が住み、藪を畑にし犬が吠えれば、クマは怖くて自ずと山に逃げ帰るであろう。帰る場所に餌があるように太い木を残すのである。それでも、里に下りてくるようなら喰うしかない。人もクマもそれぞれの生活場所でお互いに元気でいれば良いのである。

自然との共生を唱える人たちは、街に住みマンションに住む。都会の中心に住み、「自然を大事に」「クマを守れ」と叫ぶ。本来、自然との共生は手間のかかることなのである。森のそばで動物たちと縄張り争いをしないとわからないことが多いのである。

よく街路に並んで植えられている。しかし、伸びすぎて邪魔になるせいか、樹冠の上のほうを半分ほど切り落とされ、枝も切り詰められている姿をよく見かける。メタセコイアらしさが台無しである。本来はとても堂々とした樹であるのに、なぜ、計画性をもたいのだろう。木への情愛が感じられない風景はなにか寂しい。

東北大学農学部の食堂前には立派なメタセコイアの並木がある。しかし農学部は移転した。いずれ、木々は伐られ、整地され、そこに新しい建物が建ち、また、小さな苗木が植えられるだろう。こんなことばかり繰り返すので、いつになっても日本には落ち着いた景色が見られない。

巨大になるスズカケノキ(プラタナス)は冬には枝も先端も切り詰められ、痛々しい姿を見せている。そんなことするをくらいなら、あまり大きくならない在来の樹種を植えたほうが良い。

――― 清和研二 有賀恵一 『樹と暮らす』


2021年2月27日土曜日

決して短くない時間

 それにしても、これらの巨木は伐られてどこにいったのだろう。巨大な建築物になったのだろうか。無垢材の家具や建具として各地の家庭で大事に使われているのだろうか。そんなことはない。海外では重厚な家具になったが、国内ではベニヤや薄い突き板になり消えてしまった。雄大な立ち姿を見せていた巨木たちはわずかにその痕跡を留めるだけだ。先祖から引き継ぎ次世代に残すべき大事な遺産を我々は失ったのである。


伐採を専門にする業者の話を聞いたことがある。「トチノキの巨木はなんぼでもある。伐ってもすぐに大きくなるのでなくなる心配はない」。数十年前のことではない。数年前のことである。この業界には依然根深い無知がある。森の中で巨木と言われるまでに育つには人の寿命の何倍もの時間を要すること、そしてそれはきわめて稀なことだということを知らねばならない。


森のてっぺんに顔を出せたのは、そして花を咲かせるまでに大きくなれたのはどれくらいなのだろう。
親木から飛び立った種子の、何十万分の一、何百万分の一だ。
さらに人間の世代を幾つも幾つも超えて生き延び、老熟していく。
奥地に立つ巨木は奇跡なのである。
想像を超える時間を生き、樹々のいのちは繋がっていく。

--- 清和研二・有賀恵一 『樹と暮らす』から


2021年2月1日月曜日

ブナに聴く

どこを見回しても、ブナで作ったものは今の日本にはほとんど残されていない。東北ではりんご箱、子供たちの机や椅子が作られた。飛騨ではデザイン性の高い椅子が作られヨーロッパに売られた。しかし、日本のどこにブナの家具や建具などが残っているのだろう。巨木の森は伐られてどこにいったというのだろう。山には細い木や形質の悪い木が残され、更新しにくいところはササがはびこってしまった。雨後のタケノコのように現れた林産業者は一瞬儲けて皆撤退した。あまりにも目先の利益にとらわれた林業と林産業が合体した歴史をそこに見ることができる。


雪国の人たちは炭を長く焼き続けるために「あがりこ」という仕組みを編み出したのだろう。ブナを絶えず伐り続ける林業はその後の皆伐に取って代わった。それを行ったのは2年で転勤するよそから来た役人たちであった。


田んぼの水はブナ林からくる。山形の人は昔から知っていた。農家では12月12日に山の神を祀(まつ)り、穀物の豊穣を祈った。”出羽三山”があり”草木塔”が立つ。樹の命を敬(うやま)う土地柄だ。だから、むやみに木々を伐ることはなかったのだろう。その証拠に山形県の針葉樹人工林率は造林適地の少ない沖縄、急峻(きゅうしゅん)な山岳を抱える富山・新潟に次いで四番目に低い。実質は一番低い地域かもしれない。だから、今でも豊かできれいな水で溢れている。

 ーーー 清和研二 『樹に聴く』


2015年8月9日日曜日

ジャンゼンーコンネル仮説

親木から散布された種子は親木の近くでは数は多いものの、そのほとんどが昆虫など捕食者や病原菌などの天敵によって死亡してしまう。しかし遠くに散布された種子や実生は生き残る。また天敵が親木の子供(同種)を強く攻撃し、他種の実生はさほど強く攻撃しないといった”種特異性”をもつ場合は、親木の下では自分の子供(同種)の代わりに他種が生き残り、種の多様性が作られる(ダニエル・ジャンゼン)
   --- 「樹は語る」 清和研二から

2013年12月17日火曜日

多種共存の森

学者、とくに自然科学の人たちは希少な動植物には興味を持つが、そこに住み続けることによって自然環境を守ってきた人々の暮らしには興味がなかったのだ。誰が自然を壊し、誰が守ってきたのか、地元の人たちの伝統的な生活様式こそがそこの自然環境や生態系を守る一番の力だったのではないか。天然林からの略奪の限りを尽くしてきた外部の人間が、奇跡のように残った地域に目を付けて、それが貴重だからといって、地元の人を排除するようなことは傲岸(ごうがん)なことである。物質文明の恩恵を受けながら暮らしてきた都会人は、むしろ間接的には加害者なのである。

我々人間は大量の木材をすぐに欲しがった。まるで、小麦やトウオモロコシを作るのと同じやり方で。一種類の木だけを大面積に植えてきた。このような自然には存在しない人工の森は人間が手を入れ続けなければ、自ら崩れていく。病虫害が頻発し暴風や豪雨でひっくり返ってしまう。これは自然が悪さしているのではない。森自らが多様な生物が共存する生態系を取り戻そうとしているのである。本来の森の姿を取り戻すことによってさまざまな恵みをもう一度、我々に与えようとしているのだ。

--- 『多種共存の森』 清和研二 から