2021年2月1日月曜日

ブナに聴く

どこを見回しても、ブナで作ったものは今の日本にはほとんど残されていない。東北ではりんご箱、子供たちの机や椅子が作られた。飛騨ではデザイン性の高い椅子が作られヨーロッパに売られた。しかし、日本のどこにブナの家具や建具などが残っているのだろう。巨木の森は伐られてどこにいったというのだろう。山には細い木や形質の悪い木が残され、更新しにくいところはササがはびこってしまった。雨後のタケノコのように現れた林産業者は一瞬儲けて皆撤退した。あまりにも目先の利益にとらわれた林業と林産業が合体した歴史をそこに見ることができる。


雪国の人たちは炭を長く焼き続けるために「あがりこ」という仕組みを編み出したのだろう。ブナを絶えず伐り続ける林業はその後の皆伐に取って代わった。それを行ったのは2年で転勤するよそから来た役人たちであった。


田んぼの水はブナ林からくる。山形の人は昔から知っていた。農家では12月12日に山の神を祀(まつ)り、穀物の豊穣を祈った。”出羽三山”があり”草木塔”が立つ。樹の命を敬(うやま)う土地柄だ。だから、むやみに木々を伐ることはなかったのだろう。その証拠に山形県の針葉樹人工林率は造林適地の少ない沖縄、急峻(きゅうしゅん)な山岳を抱える富山・新潟に次いで四番目に低い。実質は一番低い地域かもしれない。だから、今でも豊かできれいな水で溢れている。

 ーーー 清和研二 『樹に聴く』


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