私はコロナ禍という災厄を、日本の観光業が抱えている「毒」を解毒する機会と位置付けるべきだと考えます。
(略)
日常から離れて煩悩から解放される。そういった「特別感」は旅に欠けてはならないものです。コロナ前の日本ではこの旅がもつ「特別感」が残念ながら失われていました。
全国の観光地がコロナ後にどのような観光の姿をめざすのか。それは国が決めることではなく、その地に住む人たちや観光業者、行政機関が話し合ってどのような道を選ぶのか、だと思います。
--- アレックス。カー(東洋文化研究者)
森の中に住む猫の頭の片隅にあること。
酒飲みや嫌煙は思想とすぐに結びつくけど、下戸(げこ)は思想とは全く関係がない。健康問題でさえない。健康のために酒をやめる人はいるけど、下戸はそもそも何もやめていないのだ。部外者と言っていいい。
長渕剛「乾杯」の歌詞を読み返すと、なにで乾杯すべきかは一切書いていない。実は、酒を匂わす単語は皆無なのである。「遥か長い道のりを 歩き始めた 君に幸せあれ!」。この丁寧なメッセ-ジは「とりあえず乾杯しちゃいますか」という心性とは異なる。今そこで泥酔いしている上司はそういうことを言えない。泥酔する上司は、長い道のりを歩き始めた誰かの後姿を見つけても「幸せあれ」と送り出せずに「おい、こっち向け」とか言う。注ぐように強いる。いつまでも何かを強いる。
男の円熟味とは、決してバーのカウンターでは生まれないのだ。
(武田砂鉄『コンプレックス文化論』から)