2021年12月3日金曜日

生きて、死ぬ

人間のいちばん悪い癖は、どうしても死に際を考えてしまう。良い死に方だったか、悪い死に方だったかを、遺(のこ)された我々が考えてしまう。そうすると、どういうのが悪い死に方で、どういうのが良い死に方なのかは、ぜんぶ自分の判断になる。
(略)
同じ死に方でも、良い悪いが変わってくるのは、良い悪いを自分で判断しているからに他ならない。だから、死に際を説いてはいけません。


暦には昨日と今日と明日に線が引かれているが、人生には過去と現在と未来の分け隔てはない。誰もが、たった一人で抱えきれないほどの膨大な時間を抱えて、生きて、死ぬ。

  ---   柳美里 「JR上野駅公園口」 2014.3.30





2021年11月30日火曜日

組織体の利益と個人の利益

 欧米社会では、民主とか個人とかいう考え方は二千五百年かかってなし遂げられました。それを戦後の五十年間に短縮してなし遂げることは不可能でしょう。

役人の世界はやくざ、アメリカで言えばマフィアですが、彼らが住んでいる世界とよく似ています。縄張りを広げることが出世につながるからです。

官僚にとって天下りは自分たちの権限を維持するためにも必要不可欠です。
彼らがいる限り、役所がもっている規制はなくなりません。天下りした人たちは規制がなくならないように見張っている、番犬のような存在でもあるのです。

「あうんの呼吸」と知る権利は相反するものなのです。「あうんの呼吸」はムラ意識を共有している人たちだけにわかる、排他的なコミュニケーションです。

官僚は業界に対し規制という支配権を握っています。この権限を手放したくないからこそ保護に走るのです。

「行政指導」が存在している理由は、自分たちの既得権益を守ることにあります。

日本で許認可権限を一手に握っているのが官僚です。力を持っている人のところには、必ず下心のある人たちが集まります。

「単身赴任」という考え方があります。これは選択の自由を認めません。自分が働くところを自分で選べないのです。なぜこのような発想が幅を利かすのか。それは組織体からすれば、たとえ家庭が崩壊しても組織体が生き残ることが一番重要なことだからです。

---  宮本政於 「お役所の精神分析」 1997.3.10

2021年11月20日土曜日

居ハ心ヲ移ス

  戦後、日本は激しく揺れ、変わってしまったが、これがもしも、日本中どこも戦災にあわず、どこも焼けなかったとしたら、それでも、こんなふうに、すっかり変わってしまっただろうか。

 自分の家も、となりの家も、向かいの家も、町全体が、むかしとおなじで、それを朝から夜まで、くる日もくる日も見て暮らしていたら、気持ちや考え方だけ変えるというほうが無理というものかもしれない。居ハ心ヲ移スという。住んでいるところが変わらなければ、心も移しようがなかろう。

---  花森安治 「花森安治選集2 (水の町 日本紀行)」



2021年11月14日日曜日

鎖国を悪とする背景

よく言われる日本の島国的・鎖国的な発想というのは、江戸時代ではなく、この時代(秀吉の朝鮮・中国・東南アジア諸国一帯のアジア支配という構想)にこそあったのです。またこれは、欧州の植民地拡大の発想と同じ価値観です。さらに、米国のフロンティアの考え方と同じです。秀吉がポルトガルやスペインの実際におこなっていたことを、知らなかったはずはありません。

江戸時代の技術も、近代日本の技術も、秀吉のもくろみが失敗し、アジアの物資を手に入れられないことから始まったのでした。他者のものを奪うことができず、自ら生み出すほか方法がないからこそ、技術開発が興(おこ)ったのです。自らの無能を自覚してこそ、創造力が培(つちか)われたのでした。

江戸幕府は、俘虜(ふりょ)の人々を隠すこともなく、彼らが帰国するもしないも本人の意志にまかせていたのでした。開かれて間もない江戸幕府は、本気で朝鮮との国交回復を望んでいたのです。

日本人武将が強制連行してきた朝鮮の人々の中には、知識人もいれば、陶磁器の職人もいました。約10万個の銅活字と印刷機材をソウルから盗んで来たと言われていますから、印刷職人も連れてきた可能性があります。このように野蛮で不当な手段をとったのですが、結果的に江戸時代の基礎に朝鮮の人々の技術がしっかり根付き、江戸時代をはぐつむ土の役割を果たしたのです。

琉球は1372年から、中国の冊封国(さくほうこく)です。その冊封制度のもと、マラッカ(マレーシア)、シャム(タイ)、パタニ(タイ)、ジャワ(インドネシア)、スマトラ(インドネシア)、パレンバン(インドネシア)、スンタ(インドネシア)、安南(べトナム)、朝鮮、日本に貿易船を派遣し、アジアでも有数の貿易国でした。その豊かな国を、薩摩藩は狙ったのです。これは秀吉が朝鮮に侵略したのと同じ、外国への侵略と植民地化です。

明治維新後の1872年、琉球は琉球藩となりました。さらに1874年、明治政府が廃藩置県をによって県に変更し日本国に組み入れようとしたので、強い抗議が起こりました。1879年、日本は約300名の兵士と160名あまりの警察で琉球に入り、尚泰王(しょうたいおう)に首里城を明け渡させ、ここに沖縄県が成立しました。こうして琉球は独立王国の幕を閉じたのです。

沖縄は琉球国という外国であり、日本はその琉球を植民地化し、やがて米国に差し出したのです。このことは、江戸時代に緊密な関係を築いていた朝鮮を、1910年に植民地支配したことと合わせて考えるべきです。

日本は当時、あまり技術力も無く、銀だけに頼って中国の技術生産品を買っていたのです。そのまま勝ち続けていたら、日本には職人が育つことはなく、近代以降の技術も持つことはできなかったでしょう。しかも銀は完全に枯渇し、貨幣も造れなくなっていたでしょう。つまり、「負け」と思われたときが、新しい仕事を作るチャンスなのです。江戸時代日本は、その機会を手にし、実際に新しい時代を作ったのです。新しい一歩を踏み出すことは、依存から抜け出すことでもあるのです。

江戸時代のいわゆる「鎖国」に終止符を打った「開国」は、産業革命後の市場を求めるアメリカ、ヨーロッパによって迫られて起こりました。しかし江戸時代の始まりは外圧ではなく、むしろ外圧を回避し、従来の拡大主義を収め、自国生産へ転換することでなされました。


教科書で使われている「鎖国」という言葉には、いくつかの問題点があるのです。

 第一に、「開国」を善で「鎖国」を悪とする背景に、無条件の欧米崇拝がひそんでいることです。そこには、江戸時代に深く長い交流があったアジア諸国への蔑視(べっし)や無視が見られます。第二に、拡大、雄飛(ゆうひ)、外へ出る、ということが価値あること、とされています。そこには、縮小、収めること、内へ向かうこと、への軽視が生まれます。その果てに植民地争奪戦に巻き込まれ、欲望を肥大化させ、環境破壊の先頭を走ることになりました。江戸時代の縮小、収(治)めること、内へ向かうことの意味を、もう一度考え直さなくてはなりません。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

使い捨て

 使い捨てをしないのは単に金額の問題ではありません。江戸時代の「もの」の感じ方は「同じものがない」ことに由来する、個性への愛着なのです。

着物が世界を巡りながら地上と地中を循環していたように、陶磁器もまた世界を巡りながら、人から人へ受け渡され、最後はふるさとである土に還ります。漆もまた、すべての木の成分でできていますから土に戻ります。食器であってもプラスチックではこうはいきません。

現在の紙は、1ミリか二ミリぐらいのパルプの繊維でできていますが、和紙は10ミリ以上の長い繊維でできています。しかも薬品は添加されていませんので、漉き返しは容易で環境にも問題ありませんでした。そもそも和紙の原料のコウゾやミツマタは一年草で、長いあいだ育てた木材から採るわけではありませんでした。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

ゴッホと広重

 広重の『名所江戸百景』の特徴は、描かれているものが見る人の視線の「出発点」であって、そこから人はむしろ描かれていない江戸の空間に、想像力を引っ張ってゆく仕掛けなのだ、とわかります。しかしそういう仕掛けは「額」の存在を前提にしている十九世紀の西洋絵画の視覚では、なかなか理解できなかったと思います。

---  田中優子 「グローバリゼーションの中の江戸」

2021年11月6日土曜日

生まれた時からそういう時代だった

 自己責任論に影響される若い人たちのメンタリティが私にはこう見えます。お金を儲けた者、成功した者の言動に賛同することで自分を一体化させて自己万態感、自己肥大感に浸る。そういう人の特徴は、成功者の失敗には非常に優しいですが、社会的要因つまり自己責任でない原因で敗者になった人間には厳しいこと。勝者にやさしく敗者に厳しくというのは、本当に守るべきものは何なのか、誰なのかを完全に見誤っています。
 若い人が昨今の新自由主義社会の価値観しか知らない世代なので、あるいは仕方のないことなのかもしれません。先ほど述べた排除アートが現れ始めたのは1990年代後半からでした。そうすると今のだいたい20歳後半より下の人は、生まれた時からそういう時代だったのです。

自己啓発やサクセスものビジネスセミナーなどに影響される若者は、大人社会の反映のように私には見えます。若者は、実は社会の鏡なんですよね。年配者や大人以上にフィルターなしに社会の風潮を全身で受け止めてしまっているんですよ。 


----  林克明 『渡辺てる子の放浪記』



2021年10月16日土曜日

どうなるんだろう

威嚇するように「愛国」を叫ぶ人たち
ほんとうに自分の国を想えるのであれば
同じぐらい隣の国も大切に想えるはず
(「ヘイトスピーチ」から)

大事な年金が詐欺ファンドに投資されようが
国の借金が世界ダントツになろうが
電磁波づけにされようが
おバカな大臣が続出しようが
どうでもいいや の48%が
「打つ手なし」の原発事故を再発させて
今度こそ国を 世界を
滅亡させるかもしれないのに・・・
(「48%」から)

青森県六ケ所村再処理工場が
稼働し始めると
海や空に原発1年分の放射能を
1日で放出するだけでなく
そして
工場周辺で小児白血病が
多発するだけでなく
工場のコスト総額19兆円以上使って
長崎型原発1000発分のプルトニウムを
1年間で生産することになる
(「『六ケ所村再処理工場』を検索」から)

生物種の絶滅のスピードは
1万年前・・・100年で1種
1000年前・・・10年で1種
100年前・・・1年で1種
現在・・・1日で100種
この地球の悲鳴を
我がこととして考えられる
人間は
私たちの国では
1%もいない
(「1%」から)

 ‐‐‐  財津昌樹 「言いたいことをいってしまう。と、どうなるんだろう」

2021年10月11日月曜日

知らんがな

 意見を恐れる日本人がいる。無関心な人たちに気づかれることを恐れている。「民主主義」なんてかっこいいことを言っているが、「無関心主義」のおかげで成り立っている国だ。
 無関心とは「犠牲」を見ないことだ。誰かを下敷きにして、僕らはその上に座っているという現実に目を向けないから、僕は漫才を使い、そこに目を向けさせる。


 そもそも普段から政治や社会のことを話し、議論して、その意思表示として選挙に行くのに、普段からその話をタブーにして議論もせず、選挙なんかに行って、誰を選ぶというんだろう。ただの大人の証明くらいの感じで行っているだけだろうと思っている。
 大人なら選挙に関心を持て、投票に行け、と責任を求めるなら、同じように「在日朝鮮人に関心を持て、沖縄の辺野古に関心を持て、原発に関心を持て、僕たちの社会だぞ」と言える。


 お前が誰かを風景にするということは、お前を誰かに風景にされるということだ。風景にしていいということは、自分の悲劇も風景にされるということになる。
 風景にしていいというルールは、すべてが自己責任になる。「知らんがな、お前のことだろう」は、お前が困っているときも「知らんがな、お前のことだろう」になる。


--- 村本大輔 「おれは無関心なあなたを傷つけたい」


2021年9月15日水曜日

生き残り

公共事業には地方がやる公共事業と、国が予算の金額を出す公共事業(直轄事業)とがあるが、地方の公共事業もその内容にはほとんど中央省庁が決めている。地方が単独で事業を行う力は自治体に残っていないので、地方もそれに従う。事実上、地方負担分には国の裏補助もつく。だからすべての公共事業は事実上、国がやっているといっていい。


日本の地方は、農業も漁業も商業も自律的活力を失っている。あらゆる営みを中央省庁に管理され続けたからである。補助金の注入がなければ生きていけないように仕組まれているのが地方経済である。地方で補助金と無縁に生活できる職業は郵便局、電話局、市役所の三つに、あとは学校と商店の店員しかいない。


どうしても、特殊法人という行政機関を作りたいのであれば、国家行政組織法を改正して、特殊法人というカテゴリーを明記しなければ法体系上、整合性がとれないし、適法性も保てない。しかし、それができなかったのは、行政の仕事でないこと(収益・投資活動)をやる団体を行政機関とすることは、法の建て前上、許されなかったからだ(憲法第七章)。それで、やむを得ず、法の孤島=「設置法」でごまかしたのである。


現在、官公庁出身者が理事に入っている公益法人は8060法人で、子会社を持つものは1850法人ある。ちなみに、子会社の数は約7000社である。官公庁出身者が常勤理事を務めている公益法人の数は3800で、官公庁出身常勤理事は5100人もいる。また公益法人に対して支払われている年間の補助金、委託費は国が4500億円、地方が7500億円で、補助金、委託費を受けている公益法人は約8000法人である。


わが国の国家予算の規模は一般に信じられている85兆円(平成12年度)ではなく、実際には財政運営の主体となっている特別会計を軸とした260兆円である。税収(47兆円)に照らして、国の予算がこのように異常な規模になった大きな要因は、郵貯(総額255兆円)、年金積立金(総額140兆円)、簡保(総額110兆円)などから特別会計で借金をし、事業予算に充(あ)てる仕組みだ。

 
   ---  石井紘基 『日本が自滅する日』 2002.1.23


2021年8月15日日曜日

その文化生活を問い直す

 だいたい電力が足りないから原子力発電所をつくるのだろうという発想が、そもそも間違っているんですよ・・・たとえば自動車メーカーが自動車をつくるのは、大衆が自動車を欲しているからですか。違うでしょう。自動車を売るために無理やりに購買力を煽り立てる。自動車道路をつくる。都市や生活の様式を自動車なしではやっていけないようにつくり変える。それが連中のやり口じゃないですか。必要だから自動車をつくって売るのではなく、売るために必要な状況をデッチ上げるんだ。(相沢広介 日銀記者クラブのキャップ)


私は火電建設反対運動の中で、もうこれ以上の電力は要らぬのだと主張し続けてきた。電力が足りないのだからといって造られる発電所が、さらに新たな電力需要を刺激するのであってみれば、これはもうとめどない増殖というほかない。その結果が、環境破壊であり石油乱費であり文化の不健康化である。されば、電力が足りないからといって発電所を造るのではなく、むしろ生活の方を変えるべきではないか。不便な生活に後退してもいいから、基本的な自然環境を譲りたいと私は考える。<松下竜一 暗闇の思想>


伊方町に行けば、堂々たる公民館、診療所、消防団格納庫、学校のナイター設備等々が立ち並び、いずれの建物にもこれが電源立地協力費によって建てられた旨を示す額が掲げられている。この盛り沢山の報酬を住民は絶えず意識せよとでもいったふうに。確かにこれは報酬である。原発という恐怖の報酬である。もし、政治というものがまことの姿勢を持つものであるなら、これらの建物は恐怖の報酬としてではなく、むしろこのような辺境地帯への政治の厚さとして、なんの代償もなしに与えられるべきはずのものではないのか。


--- 松下竜一 『平和・反原発の方向』 2009.6.17




2021年6月29日火曜日

少しの想像力

放射能汚染が拡大すれば、首都圏にいるひとたちもいずれ覚悟を決めなければならないことであった。配給の食事を何でも食べられること、体育館の硬い床の上でも眠れること、苛立ちや怒号がともすれば衝突するその場所で事件が起こらないよう心を配ること。じっさい、原発事故周辺地に住むひとたちは、生活の場を奪われ、職業を奪われ、自治体までも奪われた。そして少し想像力を働かせれば、それは全国で稼働する原発の周辺でも起こりうることだとわかる。

---  鷲田清一 『しんがりの思想』

2021年6月24日木曜日

止まらない雪玉

 少なくとも、満州事変を起こした時には、石原には一応のビジョンがあった。たとえそれが誇大妄想のトチ狂った考えであったとしても、何をしたいのか、というヴィジョンがありました。ところが彼が最初の雪玉を転がしてしまった後、その雪玉は勝手に転がり続けてしまいました。日中戦争が始まった時、石原は陸軍の参謀本部作戦部長だったのですが、ただ一人戦争の拡大を阻止しようとして走り回って、最終的に負けました。その後、関東軍参謀副長へ左遷され、そこで参謀長の東条英機に嫌われてやがて退役させられます。そして、太平洋戦争が始まった時には、立命館大学で国防学の講師をしていました。最初に雪玉を転がした人間が、それが雪崩になった時には、その雪崩に自ら吹き飛ばされてしまったという感じです。この感じが、私はすごく怖いと思いました。

--- 安冨歩 「生きるための日本史」

2021年6月23日水曜日

雨乞い

高度成長期には、東京タワーが建てられ、新幹線が開通し、東京オリンピックをやって、大阪万博をやりました。しかしそれらは高度成長の原因ではなく、そのなかで生じた、むしろ結果なのです。ところが今の日本は、スカイツリーを建てて、リニアモーターカーを走らせ、東京オリンピックをやって、大阪万博をやろうとしています。そうすればまた、高度成長が始まる、と思っているのです。こんな原因と結果とを取り違えたことをやっても、それは雨乞いに過ぎません。その雨乞いのために、私たちは何十兆円も投入しています。

ーーー  安冨歩 『生きるための日本史』


2021年6月18日金曜日

自助・共助・公助

 憲法を改正して、もっと家族をつくって自分たちで自分たちの面倒を見させるようにしよう、という政治家も多い。これは要するに、国が国民の面倒を見ることをやめて自分たちで何とかしてほしい、ということである。(岸政彦)

どんな権威も権力も、お金がないんです、予算がないんですよ、だから仕方ないですね、というロジックに勝てるものはない。人びとをコントロールする上で、これほど有効なものはない。お金がない、ということによって、財務省は文科省に対して権限が強くなり、文科省は大学に対して権限が強くなり、大学は教員に対して権限が強くなる。だって、お金がないって言われたら、誰も言い返せないじゃないか。(岸政彦)

保守的な政治家が「わが国の伝統的な家族を守ろう」と叫ぶとき、それはただ単に、もう社会保障に回す金がない、と言っているだけなのだ。あとは自分でやってください。(岸政彦)


消費税は全額消費者が負担するものだ。企業は一切負担しない。つまり、消費税を社会保障の財源とするということは、今後進んでいく高齢化のコストを企業は一銭も負担しないということを意味するのだ。(森永卓郎)

東日本大震災から八年が経過して明らかになったことは、復興がほとんど進んでいない実態だ。復興を支えるために国民は、復興特別住民税を10年間、復興特別所得税を25年間払い続ける。ところが、復興特別法人税はたった二年で廃止されてしまった。さらに復興財源を支えるために行われた国家公務員給与の二割カットも、たった二年で廃止された。いまの政治は明らかに企業と官僚を優遇しているのだ。(森永卓郎)

――― 松尾匡(ただす) 『反緊縮宣言』

2021年5月23日日曜日

羨まし

「人見知り」という言葉は、曖昧な部分が多い。実際には世の中のほとんどの人が自身の身の中に人見知りを内包しているのではないかと思う。誰彼構わず関係性を瞬時に築ける人の方が稀有(けう)だろう。ただ多くの人が、人見知りを貫くだけの勇気と気力が無いのだ。自分から見れば人見知りは生き難いかもしれないが羨ましくも感じられる。

ーーー 又吉直樹 『東京百景』


舞台に上がる芸人と観客の間には、言葉では説明できない境界がある。舞台に上がる当事者は眼に見えない法衣を身に纏(まと)い、その力によって日常と乖離した舞台という場に立てるのだ。その霊力によって衆目に負けず、人前でも声を出せる。そう思っていた。 しかし古井(由吉)さんは眼に見えぬ法衣など着けず裸で舞台に上がられていた。舞台と客との関係性に日常を放り込めるというのは特殊な能力だと思う。日常でも文章上でも境界を軽々と越えられる方なんだと改めて思い知らされた。

ーーー 又吉直樹 『東京百景』


2021年5月21日金曜日

戦後の現実

 確実に指摘できるのは、あらゆる不条理に対して従順になれ、入社する前から社畜になれ、入社した後はもちろん、ただひたすら空気を読んで「粉飾決済しろ」と上から言われたら黙って実行する(東芝)のような奴隷になれ、という命令に対して異議を申し立てないような人間ばかりなった結果として、この国は泥沼のような停滞(失われた二〇年)に落ち込んだ。という事実である。

ーーー 白井 聡 『戦後の墓碑銘』


「デモに行ったら就職できない?大いに結構、そんな会社はこっちから願い下げだ」、「デモに行くようなバカは、お前の会社では採用しない?大いに結構、お前となんか絶対に一緒に働きたくない」。今日の社会が、社会に対して十分に根拠のある異議申し立てをする人間を排除するような腐った社会でしかないのならば、そんな社会は要らない、そんな社会は全面的に拒絶するほかない。今立ち上がった人々が発しているメッセージはこれである。

ーーー 白井 聡 『戦後の墓碑銘』



2021年5月19日水曜日

ディランは『ボブ・ディラン』をやっているんだ

 渡は「高田渡」をやっていたんだ。そして、結局、「高田渡」のまま死んでいった。
(略)
「高田渡」をやるしかないのよ。もともとあいつは酒強くないもん。(シバ)

ーーー なぎら健壱 『高田渡に会いに行く』

2021年4月2日金曜日

子供たちの教育をになう

 原子力発電所は、電気を起こすために運営されているのではありません。その本当の目的は、核武装です。正確に言うと、日本を、いつでも核武装できる状態にしておくために、行われています。その技術の発展を担ったのは科学技術庁という役所でした。その業務の大半は、核燃料再処理、高速増殖炉、ロケット開発でした。これらを組みあわせると、核ミサイルを作ることができます。ですから本当の名前は「核ミサイル開発庁」でした。この役所はその後、文部省と統合されて、文部科学省になっています。ですから、文部省の本当の名前は、「文部核ミサイル開発省」です。日本ではこんな役所が、子供たちの教育をになっているのです。

   ---  安冨歩 木村恵 『魔法のヤカン』

2021年3月7日日曜日

責任

 自ら考えて決めた時にだけ、自分のしたことに責任をとることができる。だから自ら考えていないということは、自分で決めていないということであり、そうであれば、やったことの責任は、本来とれないはずである。にもかかわらず、成績や入試の結果に関しては、生徒が責任を負わされる。「君の努力が足りなかった」とか「君は運が悪い」とか「頭が悪い」とか。そして挙句の果てに「自己責任」と言われたりする。


高齢者自身の生き方が重要なら、当事者である彼ら自身が何をどうしたいのかを考え、発言する自由が与えられなければならず、また彼らはその自由を行使しなければならない。そうでなければ、学校教育と同じく、自分で自分の人生の帰結に責任をとることなどできない。


地元住民が当事者として地域をどうするのかを考えなければならないはずなのに、それを国や自治体、もしくはどこかの企業が代わって考え、決めてきた。
 何か問題が起きたら、住民は行政や企業を非難するが、彼らが責任をとることはない。当たり前である。それは彼らの人生でないからだ。他方、当事者である住民は、自分たちで考えも決めもしなかったから、責任がとれない。それなのにその結果は引き受けるしかない。何とも理不尽なことではないか。
 私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって考えて決めてあげることもやめなければならない。人間は自ら考えて決めたことしか責任はとれないし、自分の人生には自分しか責任はとれないのだ。


---  梶谷真司 「考えるとはどういうことか」



2021年3月1日月曜日

自然との共生

樹種の多様性、個体の多様性、つまり多様な個性を一顧(いっこ)だにせず、皆同じ規格で同じ塗装で、機械でササッと作ろうとする。そうしたものは、なぜか”早く飽きる”。愛着が湧かないまま、捨ててしまったことさえ覚えていない。多分、木が育った情景も知らなければ、誰がどのように作ったのかもわからないからだろう。

本来、山間地周辺の森林はそこに住む人たちの環境を守り、地域の経済を支えるためにある。燃料会社、発電会社のため、街での快適な生活のため、地球温暖化の元凶ともなる放逸(ほういつ)な消費生活のツケを払うために里山があるのではない。里山の仕組みを知り、作業のキツさを知る山間部に住む人のためにあるのだ。

クマが人里に下りてくるのは、山に食べ物が少ないためだけでなく、何よりも山里の活力が低下し人間が怖くなくなったためである。林業や林産業が活発になり山間地に多くの若者が住み、藪を畑にし犬が吠えれば、クマは怖くて自ずと山に逃げ帰るであろう。帰る場所に餌があるように太い木を残すのである。それでも、里に下りてくるようなら喰うしかない。人もクマもそれぞれの生活場所でお互いに元気でいれば良いのである。

自然との共生を唱える人たちは、街に住みマンションに住む。都会の中心に住み、「自然を大事に」「クマを守れ」と叫ぶ。本来、自然との共生は手間のかかることなのである。森のそばで動物たちと縄張り争いをしないとわからないことが多いのである。

よく街路に並んで植えられている。しかし、伸びすぎて邪魔になるせいか、樹冠の上のほうを半分ほど切り落とされ、枝も切り詰められている姿をよく見かける。メタセコイアらしさが台無しである。本来はとても堂々とした樹であるのに、なぜ、計画性をもたいのだろう。木への情愛が感じられない風景はなにか寂しい。

東北大学農学部の食堂前には立派なメタセコイアの並木がある。しかし農学部は移転した。いずれ、木々は伐られ、整地され、そこに新しい建物が建ち、また、小さな苗木が植えられるだろう。こんなことばかり繰り返すので、いつになっても日本には落ち着いた景色が見られない。

巨大になるスズカケノキ(プラタナス)は冬には枝も先端も切り詰められ、痛々しい姿を見せている。そんなことするをくらいなら、あまり大きくならない在来の樹種を植えたほうが良い。

――― 清和研二 有賀恵一 『樹と暮らす』


2021年2月27日土曜日

決して短くない時間

 それにしても、これらの巨木は伐られてどこにいったのだろう。巨大な建築物になったのだろうか。無垢材の家具や建具として各地の家庭で大事に使われているのだろうか。そんなことはない。海外では重厚な家具になったが、国内ではベニヤや薄い突き板になり消えてしまった。雄大な立ち姿を見せていた巨木たちはわずかにその痕跡を留めるだけだ。先祖から引き継ぎ次世代に残すべき大事な遺産を我々は失ったのである。


伐採を専門にする業者の話を聞いたことがある。「トチノキの巨木はなんぼでもある。伐ってもすぐに大きくなるのでなくなる心配はない」。数十年前のことではない。数年前のことである。この業界には依然根深い無知がある。森の中で巨木と言われるまでに育つには人の寿命の何倍もの時間を要すること、そしてそれはきわめて稀なことだということを知らねばならない。


森のてっぺんに顔を出せたのは、そして花を咲かせるまでに大きくなれたのはどれくらいなのだろう。
親木から飛び立った種子の、何十万分の一、何百万分の一だ。
さらに人間の世代を幾つも幾つも超えて生き延び、老熟していく。
奥地に立つ巨木は奇跡なのである。
想像を超える時間を生き、樹々のいのちは繋がっていく。

--- 清和研二・有賀恵一 『樹と暮らす』から


2021年2月1日月曜日

ブナに聴く

どこを見回しても、ブナで作ったものは今の日本にはほとんど残されていない。東北ではりんご箱、子供たちの机や椅子が作られた。飛騨ではデザイン性の高い椅子が作られヨーロッパに売られた。しかし、日本のどこにブナの家具や建具などが残っているのだろう。巨木の森は伐られてどこにいったというのだろう。山には細い木や形質の悪い木が残され、更新しにくいところはササがはびこってしまった。雨後のタケノコのように現れた林産業者は一瞬儲けて皆撤退した。あまりにも目先の利益にとらわれた林業と林産業が合体した歴史をそこに見ることができる。


雪国の人たちは炭を長く焼き続けるために「あがりこ」という仕組みを編み出したのだろう。ブナを絶えず伐り続ける林業はその後の皆伐に取って代わった。それを行ったのは2年で転勤するよそから来た役人たちであった。


田んぼの水はブナ林からくる。山形の人は昔から知っていた。農家では12月12日に山の神を祀(まつ)り、穀物の豊穣を祈った。”出羽三山”があり”草木塔”が立つ。樹の命を敬(うやま)う土地柄だ。だから、むやみに木々を伐ることはなかったのだろう。その証拠に山形県の針葉樹人工林率は造林適地の少ない沖縄、急峻(きゅうしゅん)な山岳を抱える富山・新潟に次いで四番目に低い。実質は一番低い地域かもしれない。だから、今でも豊かできれいな水で溢れている。

 ーーー 清和研二 『樹に聴く』