2020年7月23日木曜日

現実

NHKスペシャル「戦慄(せんりつ)の記録 インパール」(2017年8月15日放送)では、新たに発見された膨大な機密資料を基に、その真相に迫っていた。
 曖昧な意思決定と、組織内の人間関係が優先され、無謀な作戦は発令された。兵士は三週間分の食料しか持たされず、行軍中に攻撃を受け多くの死傷者を出すも、大本営は作戦継続に固執した。イギリス軍の戦力を軽視し、自軍の補給物資の確保をせず、当初三週間で攻略するはずが戦闘は四ヶ月に及んだ。そして、インパールには誰一人として巡り着けず、約三万人が命を落とした。このうち約六割は作戦中止後に命を落としたという。(田崎基)

日本軍が負け始めてからの戦争指導と重なって見える。場当たり的な弥縫策(びぼうさく)で「負けている現実」から多くの人の目を逸らそうとする。長期戦を戦うには、人的損害を減らす努力をせねばならないのに、人的損害を増やす玉砕や特攻を過剰に美化礼賛(びからいさん)する。(山崎雅弘)

苦しんでいるのは一部の誰かではなく、多くの人だという認識を持つ必要がある。
(略)
 年収300万円以下が全体の約32%を占める現実を踏まえると、日々の生活は相当厳しいにもかかわらず、中間層で踏ん張っているのだと信じてたい人が大勢いるということだ。(井手英策)


前世紀の敗戦末期にこの国は、現実には負けているのにもかかわらず「勝っている!」と宣伝し、国民に貧しさを強いている現実を覆い隠すため「欲しがりません!勝つまでは」という標語を掲げ、黙らせた。物資や食糧の補給の見通しも立たないのに戦線を拡大し続け、進軍した部隊が全滅したときには「玉砕」という言葉を使い美化していった。「玉砕」とは玉が美しく砕けることを意味する。(田崎基)


---田崎基 『令和日本の敗戦』から

権利

国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論(てんぷじんけんろん)をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的な考えです。国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるのか、を皆が考えるような前文にしました。(片山さつき)


沖縄だけ、戦争が終わっていないかのようだと思いませんか。私はそう思いますよ。もう終わらせたい。基地は要らない。私たちはそうした民度を何度も示してきました。
 今に続くつらい歴史を沖縄は背負っています。だからこそ、私たちには平和に生きる権利があると思う。米軍基地も自衛隊の基地も要らない。力で、武力で、何かをしようとすれば、必ず力で反発を受ける。基地があるから攻撃されて戦争になる。そのことを沖縄は骨身に沁みて知っている。だからこそ「基地は要らない」と言い続けなければいけない。(阿波根數男 あわごん かずお)

 そもそも権利概念は、個人のエゴイズムを認め、それが衝突することを前提に存在している。だが、エゴイズムは存在したにという前提に立つと、権利の観念も必要なくなってそまう。
 したがって、すべての日本人は潜在的に無権利状態にあるのだろう。だから、誰かが「私の権利を回復せよ」などと言い出すと、その人があたかも不当な特権を要求しているかのように錯覚される。そして主張した人が袋叩きに遭う。
 この状況は、明治時代に生まれた「家族国家観」という国体イデオロギーがいかに強力で長命かを物語っている。ここの、米国を媒介として国体の構造が生き延びたことの深刻さが浮かび上がる。(白井聡)

「そげん恥ずかしかもん、うちは一銭ももろうとらん。そんかもん、もろうとったら、あんたが恥かこうが!絶対そげんかことよそ様に言いなさんな!」
 僕は怖くて泣いた。いま思えば、これは暴言だ。生活保護は権利なんだから、堂々と使えばいい。だが、あのように言い放った、母の、日本人のメンタリティは理解できる。(井手英策)

「表現の自由」とはそもそも権力と対峙関係において最も発揮される権利である。したがって、権力への批判、批評、その前提となる権力の監視こそが、報道が担うべき最重要課題である。言葉を言い換えてごまかし、現実を捩じ曲げている権力者がのさばっているのであれば「嘘をついている」と指弾しなければならない。 (田崎基)

---田崎基 『令和日本の敗戦』から

根っこは同じ

沖縄の問題、福島の問題、東京の新大久保や大阪で行われている在日韓国朝鮮人を差別する排除の動き。他にも大きな問題が身の回りでごろごろしている。それでも「知らない、聞かない、関係ない」で済ますことを続けていれば、回り回って必ず自分に降りかかってくる。
(略)
こんな状況で「政治的、社会的な問題に首を突っ込まない」なんてことを言っていると、間違いなく自分にどんどん突き付けられる。軍事費が突出すれば必ず別のところが削られる。年金支給年齢が75歳に引き上げられるかもしれない。医療費の窓口負担も天井知らずで上がっていくかもしれない。そんなことになったら、人は人としてまっとうに暮らせなくなるだろう。ここ辺野古で起きていることと、根っこは同じなんだよ。(山城博治)

--- 田崎基 『令和日本の敗戦』から


2020年7月14日火曜日

許さないということ

一番は『寛容』になることだと思います。怒りとかストレスとか、ハラスメントが一日中ついて回るような今の世の中のキーワードは『許さない』ことだと思うんですよ。例えば国会議員が不倫してようが全然関係ないはずだけど、『不倫はいけない、許さない』とかいろんなものを許さない、許さない・・・って、どんどんシャープになってきて幅がきかなくなってきて、どんどん狭くなってきた価値観同士がぶつかり合うと、もう多勢に無勢で。『共存する世の中』『多様性』って口では言うけど、共存なんか全然できていないですよね。(大崎志朗)
 --- 宮台真司 永田夏来 かがりはるき 「音楽が聴けなくなる日」

アートと娯楽

アート(音楽を含む)は娯楽と違い「人の心に傷をつける」のを目的とします。娯楽の目的がリクリエーション(回復)、即ちシャワーを浴びて日常に戻ることにあるとすれば、アートの目的は、それを体験した以上は以前の日常に戻れなくさせることにあります。(宮台真司) --- 宮台真司 永田夏来 かがりはるき 「音楽が聴けなくなる日」

2020年7月8日水曜日

軍事 ルネサンスからナポレオンまで

ほとんどの場合、政府は必要とする物資を自ら生産することはない。その調達のお決まりの段取りは、私的事業者の入札にかかっていた。入札と供給のシステム全体が極度に腐敗していたことは、万人周知の事実でしかない。こうしたシステムを通じて企業家は、不法にも巨額の利益を手にしたのである。とはいうものの軍隊は、最終的にはその必要とするものを入手したのである。たとえそれが品質的に、最低水準のものであったにしてもである。そしてこうした公金の濫用は、19世紀の歴史には決して珍しいことではない。むしろかかる公金の濫用こそが、産業資本主義の発展と経済成長を力強く推進したことも事実なのだ。同様のことは、金融資本主義についても言えるだろう。ロスチャイルド家の家運の勃興は、まさにここにその端を発している。イギリス政府は、対ナポレオン戦争の支払いのため必要な現金を事前入手すべく、彼らの銀行に頼ったのだ。

今や戦争の目的は、地方の征服やある程度重要性をもつ国に対する王朝交代の強制ではない。そんな戦争はもはや、何の意味も持ち得ない。戦争は国家の生死を賭け、敵の殲滅(せんめつ)という唯一の目標に向け企画されるものとなる。こうした目標の完遂(かんすい)のため、それは最大限の残忍さにより繰り広げられた。ナポレオンは旧体制時代の制限戦争を全面戦争にすり替えてしまった。それは同時に、電撃的な作戦を可能な限り目指すものとなる。問題の解決手段を決戦に求めるなら、目標達成のためには、ただひとつの会戦だけで十分であった。なぜならそのような会戦における勝利は、敗者の側の抵抗心を木っ端微塵にするのに十分だったからだ。

ナポレオン軍の速度による勝利は、こうした地理学上の進歩無くして不可能であった。
(略)
部隊の散開と集結こそ、地域の資源を早々と枯渇させることを回避し得る唯一の手法であった。こうした手法によってのみ、巨大化した軍隊を戦場に維持することが可能になる。実際に軍隊というものは、数千数万の人間の宿泊地や飲料水、燃料としての薪、軍馬の飼料等に関する、乗り越え難い諸問題に絶えず悩まされてきた。これらを克服することなくして、大軍をある狭い区域に集結させることなどできない相談である。その解決の秘訣は全軍を、決定的会戦の瞬間に限り同一場所に集結させることに存(そん)した。そのためには、お互いに遠くに離れ合った諸地域に分散する各部隊を、道路網の利用により、速度を調整しつつ分進させることが不可欠であった。


16世紀のマキュアヴェッリの提唱以来、徴兵制こそは近代国家のひとつのメルクマール(目印)であった。我が明治政府における初期の最大の懸案はまさに、この徴兵制の導入に他ならなかった。在地社会における身分や富、教養を度外視して、国民を一律等し並みに兵舎に収容する徴兵制こそが、近代的な民族の神話の根底に擬制(ぎせい)される社会契約の再確認だったのだ。(石黒盛久)

  --- アレサンドロ・バルベーロ 西澤龍生(監訳) 石黒盛久(訳)「近世ヨーロッパ軍事史」