2020年7月8日水曜日

軍事 ルネサンスからナポレオンまで

ほとんどの場合、政府は必要とする物資を自ら生産することはない。その調達のお決まりの段取りは、私的事業者の入札にかかっていた。入札と供給のシステム全体が極度に腐敗していたことは、万人周知の事実でしかない。こうしたシステムを通じて企業家は、不法にも巨額の利益を手にしたのである。とはいうものの軍隊は、最終的にはその必要とするものを入手したのである。たとえそれが品質的に、最低水準のものであったにしてもである。そしてこうした公金の濫用は、19世紀の歴史には決して珍しいことではない。むしろかかる公金の濫用こそが、産業資本主義の発展と経済成長を力強く推進したことも事実なのだ。同様のことは、金融資本主義についても言えるだろう。ロスチャイルド家の家運の勃興は、まさにここにその端を発している。イギリス政府は、対ナポレオン戦争の支払いのため必要な現金を事前入手すべく、彼らの銀行に頼ったのだ。

今や戦争の目的は、地方の征服やある程度重要性をもつ国に対する王朝交代の強制ではない。そんな戦争はもはや、何の意味も持ち得ない。戦争は国家の生死を賭け、敵の殲滅(せんめつ)という唯一の目標に向け企画されるものとなる。こうした目標の完遂(かんすい)のため、それは最大限の残忍さにより繰り広げられた。ナポレオンは旧体制時代の制限戦争を全面戦争にすり替えてしまった。それは同時に、電撃的な作戦を可能な限り目指すものとなる。問題の解決手段を決戦に求めるなら、目標達成のためには、ただひとつの会戦だけで十分であった。なぜならそのような会戦における勝利は、敗者の側の抵抗心を木っ端微塵にするのに十分だったからだ。

ナポレオン軍の速度による勝利は、こうした地理学上の進歩無くして不可能であった。
(略)
部隊の散開と集結こそ、地域の資源を早々と枯渇させることを回避し得る唯一の手法であった。こうした手法によってのみ、巨大化した軍隊を戦場に維持することが可能になる。実際に軍隊というものは、数千数万の人間の宿泊地や飲料水、燃料としての薪、軍馬の飼料等に関する、乗り越え難い諸問題に絶えず悩まされてきた。これらを克服することなくして、大軍をある狭い区域に集結させることなどできない相談である。その解決の秘訣は全軍を、決定的会戦の瞬間に限り同一場所に集結させることに存(そん)した。そのためには、お互いに遠くに離れ合った諸地域に分散する各部隊を、道路網の利用により、速度を調整しつつ分進させることが不可欠であった。


16世紀のマキュアヴェッリの提唱以来、徴兵制こそは近代国家のひとつのメルクマール(目印)であった。我が明治政府における初期の最大の懸案はまさに、この徴兵制の導入に他ならなかった。在地社会における身分や富、教養を度外視して、国民を一律等し並みに兵舎に収容する徴兵制こそが、近代的な民族の神話の根底に擬制(ぎせい)される社会契約の再確認だったのだ。(石黒盛久)

  --- アレサンドロ・バルベーロ 西澤龍生(監訳) 石黒盛久(訳)「近世ヨーロッパ軍事史」

0 件のコメント:

コメントを投稿