2020年9月25日金曜日

社会の土台

 マルクスは経済が社会の土台であると考えるが、私は人間が土台だと考える。経済は人間という土台の上に建てられた上部構造にすぎない。それ故、将来の社会を予測する場合、まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的、質的に変化するかを考え、予想時点での人口を土台としてどのような上部構造 - 私の考えでは経済も上部構造の一つである - が構築できるかを考えるべきである。

戦後教育では子供は個人主義的、成績主義的、普遍主義的(縁故者を優遇したり裏で手を回したりしない)、平等主義的であるように教育されている。日本の大人の社会は頑強に集団主義、家柄主義、縁故主義、集団差別主義を固執している。敗戦によって極めて非日本的な教育を押しつけられた結果、日本人はその教育を元に戻す保守的勇気も、大人の社会を新教育に見合うようなものに改変する進歩的勇気も持っていなかった。こうして日本人は、子供時代と大人時代を分裂したままに生きる生活を続けて来たのである。

日本の経営者や労働者には次のような短所 - それはかつて長所として称賛されたものだが - がある。経営者はXをしたいと思っても、自分でXをするとは言い出さない。下、すなわち労働者の方からXをしてくれと言い出すことを待っているのである。他方労働者はXをして欲しいと思っていても自分からは言い出さない。経営者がXをしろというのを待っているのである。

 --- 森嶋通夫 『なぜ日本は没落するか』

2020年9月17日木曜日

スクラップによる再生のための運動

 民衆による再建の運動は、人間が生み出したおびただしい混乱から逃れることはできないという前提から出発する。歴史、文化そして記憶まで、これまでこれまで消されてきたものはもう十分すぎるほどある。この再生のための運動は、白紙(スクラッチ)からではなく、残り物(スクラップ)- つまり、瓦礫や廃品など周りにいくらでも転がっているものから始めようという試みだ。コーポラティズムによる改革運動が衰退の一途をたどりつつ、行く手に立ちふさがる抵抗勢力を撃退するためにショックのレベルをさらに強めていくなか、これらの運動は原理主義の合間を縫って前へ前へと進んで行く。地域社会に根を張り、ひたすら実質的な改革に取り組むという意味においてのみ急進的(ラディカル)なこれらの人々は、自らを単なる修繕屋とみなし、手に入るものを使って地域社会を手直しし、強化し、平等で住みやすい場所へと作り変えている。そして何にも増して、自らの回復力の増強を図っている。

   --- ナオミ・クライン 『ショック・ドクトリン』 から


2020年9月1日火曜日

デマゴーグ

彼女が優先したのは演説の内容ではなく、自分のビジュアル・イメージだった。何を言うかではなく、何を着るか、どんな髪型にするか、それが人の心を左右するという考えは母の教えであり、テレビ界で竹村健一から学んだことでもあった。

「小池さんには別に政治家として、やりたいことはなくて、ただ政治家がやりたいんだと思う。そのためにはどうしたらいいかを一番に考えている。だから常に権力者と組む。よく計算高いと批判されるけれど、計算というより天性のカンで動くんだと思う。それが、したたか、と人には映るけれど、周りになんと言われようと彼女は上り詰めようとする。そういう生き方が嫌いじゃないんでしょう。無理をしているわけじゃないから息切れしないんだと思う。」(池坊保子)

激しい野心と上昇志向を持ち、年上の有力者の懐に飛び込む。論文には盗作の噂がつきまとう。彼(竹中平蔵)もまた、小池同様、学歴、留学経験、英語力を武器にして蜘蛛の糸を必死で摑(つか)み、のぼっていった人である。

「目立つことが好き、思い付きで発言するが体系的、持続的な思考力はない。何が世間に受けるかだけを考えて行動する、大衆を熱狂させる独特の魅力があり、また、そのテクニックに長けているー。それは、そのまま小池にも当てはまる。」(佐野眞一『誰も書けなかった石原慎太郎』から)

自分がどう見られるかを過度に意識した表情のつくり方、話し方、決めゼリフの用意。彼(小泉進次郎)は自分の魅力の振りまき方を知っていた。ルックスと声質の良さ、ゴロ合わせのような言葉づかい。ダジャレで人の気持ちを掴(つか)む。彼もまた、「小池百合子」だった。

「デマゴーグ(注・大衆煽動(せんどう)者型政治家)の態度は本筋に即していないから、本物の権力の代わりに権力の派手な外観(シャイン)を求め、またその態度が無責任だから、内容的な目的をなに一つ持たず、ただ権力のために権力を享受することになりやすい。権力は一切の政治の不可避的な手段であり、従ってまた、一切の政治の原動力であるが、というよりむしろ、権力がまさにそういうものであるからこそ、権力を笠に着た成り上がり者の大言壮語や、権力に溺れたナルシズム、ようするに純粋な権力崇拝ほど、政治の力を堕落させ歪めるものはない」(マックス・ウェーバー著 脇圭平 訳 『職業としての政治』

---  石井妙子 『女帝 小池百合子』から