2023年5月26日金曜日

施政方針演説

  『我々が、今、目指している新しい社会は、不信と対立を克服し、理解と信頼をや培(つちか)いつつ、家庭や地域、国家や地球社会のすべてのレベルにわたって、真の生きがいが追及される社会であります。各人の創造力が生かされ、勤労が正当に報(むく)われる一方、法秩序が尊重され、自ら守るべき責任と節度、他者に対する理解と思いやりが行き届いた社会であります。
 私は、このように文化の重視、人間性の回復をあらゆる施策の基本理念に据え、家庭基盤の充実、田園都市構想の推進等を通じて、公正で品格ある日本型福祉社会の建設に力をいたす方針であります。』(#大平正芳 『第87回国会における施政方針演説』から)

---   #中島岳志 #若松英輔 「いのちの政治学」 #2021/11/10


2023年5月21日日曜日

道徳

『道徳的行為と一般に呼ばれているものは、すべて、それがあらかじめ設定された規則に合致しているという共通の性質を有している。道徳的に振る舞うとは、一定も基準に従って行動することであって、この基準は、人がある行為をなそうと決心するまでもなく、すでにそれ以前に、特定の状況においてなすべき行為をあらかじめ決定しているのである。』 (#エミール・デュルケーム 「道徳的行為」麻生誠、山村健訳 2010年)


『学習指導要領』の徳目には「規則の尊重」「集団生活の充実」「社会正義」「国や郷土を愛する態度」などがあり、「自衛隊に入りたい」というのは立派な道徳的希望といえる。あらためて読み返してみると徳目には「反戦」「非暴力」などはなく、全体的に自衛隊への勧誘のようなのである。


菅さんの話は耳障りなくらいに、助詞(てにをは)の「を」が多いのである。
(略) 
権限としては「実施します」という立場にありながら、「される」と受け身になり、主体消去の「を」まで挿入する。つまり彼は国民に宣言する立場にもかかわらず。宣言される側に回っているのだ。国民の声に応えるのではなく、国民の声になっている。声が国民化しているのである。

命令者は、より高い命令に服従するフリをするのだ。菅さんが多用する「専門家によれば」や「法律に基づいて」「国民の声を謙虚に受け止める」も同様であろう。命令者はそれらに服従するフリをしつつ、集団生活にとって有用な「公共心・好意・顧慮(こりょ)・節度・謙譲・寛容・同情」を人間的な「美徳」として賛美するようになる。これこそが「命令者の道徳的偽善」。民主主義の為政者が説く「道徳」は道徳ではなく「道徳的偽善」なのだ。

 ーーー #高橋秀実 (ひでみね) 道徳教室 #2022/3/14

2023年5月17日水曜日

AIが仕事を無くすのか

反原発ソング

2023年5月14日日曜日

子どもはその親の持ち物ではないのです

 「子どもは親の持ち物ではありません。子どもの立場でなく、親の収入で区分するのは、そもそもの目標が違うのです。子どもたちを色分けすべきではありません。」

「子どもは親の持ち物ではありません。親の意志で自由にできるものではなく、子どもの人生を親が勝手に決めていいわけでもありません。子どもの人生は、子ども自身が決めるものです。」

---   #泉 房穂 「子どものまちの作り方」 #2019/02/10