2022年1月16日日曜日

ドリンクバーで議論

酒飲みや嫌煙は思想とすぐに結びつくけど、下戸(げこ)は思想とは全く関係がない。健康問題でさえない。健康のために酒をやめる人はいるけど、下戸はそもそも何もやめていないのだ。部外者と言っていいい。


長渕剛「乾杯」の歌詞を読み返すと、なにで乾杯すべきかは一切書いていない。実は、酒を匂わす単語は皆無なのである。「遥か長い道のりを 歩き始めた 君に幸せあれ!」。この丁寧なメッセ-ジは「とりあえず乾杯しちゃいますか」という心性とは異なる。今そこで泥酔いしている上司はそういうことを言えない。泥酔する上司は、長い道のりを歩き始めた誰かの後姿を見つけても「幸せあれ」と送り出せずに「おい、こっち向け」とか言う。注ぐように強いる。いつまでも何かを強いる。

男の円熟味とは、決してバーのカウンターでは生まれないのだ。


(武田砂鉄『コンプレックス文化論』から)

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