2023年1月22日日曜日

積極的公正・中立主義

 「1992年度における言論機関への攻撃は1625件と過去最高であった。昨年1年間に殺されたジャーナリストは49人、いまなお獄中にあるものが90人である」(「国際ジャーナリスト連盟年次報告 1992年)

いかなる時代のいかなる政治権力者(たち)も自分の意のままに動かせる放送、官営放送をほしがっているということがいえる。ジャーナリズムとその関係者、および研究者は、市民の利益と権力者の利益とは現在のところメディアをはさんで相反する関係にあることを認識し、いかにしたら権力の側からの圧力をはねかえし、放送を「公共の福祉の向上」のため公衆に奉仕させるようにできるかを、国家によるメディアコントロールの排撃という立場から真剣に考えておかねばならないのである。

かつてTBSの局長室には「放送番組をつくることは社会正義をつくることである」という額がかけてあったそうだが、ある職場に人権侵害の事例があれば、たとえそれが自らの顧客・大広告主、番組提供者によるものであってもメディアは敢然(かんぜん)とした勇気をもってのぞまなければならないのである。『積極的公正・中立主義』の基本である。

私のいう市民主権社会では市民が努力してそれなりの社会的地位を得ていくことは、それがだれに対しても出発の地点での平等な機会が民主的に保障され、くりかえし敗者復活戦が用意されているかぎり認める。が、ふつうの市民がいくら努力してもなれない地位や身分、男女差別などを認めるような社会をよしとすることはできない。このことから私の提唱する「積極的公正・中立主義」では、たとえばマスメディアがいわゆる「皇室報道」を売り物にして記事をつくりあげることを評価したりはしない。

---  #渡辺武達 「メディア・トリックの社会学」 #1995/05/20


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