事件の背景には、経済的不況による庶民の生活苦があった。大洗の青年たちは、農村社会の疲弊に直面し、苛立ちを募らせた。仕事を求めて東京に出ると、そこでも下町の苦境に直面した。
一方で、巷ではエロ・グロがブームとなり、繁華街ではカフェ遊びが流行していた。そこでは地方から売られてきた女性たちが、小金を持った男たちの欲望の対象となっていた。格差社会は拡大し、弱きものは困窮から抜け出せなかった。
しかし、政治は無策だった。既成政党はお互いに足を引っ張り合うばかりで、有効な政策を打ち出せなかった。さらには、汚職事件が次々に発覚し、政治不信は頂点に達した。
一部の特権階級は、相変わらず優雅な生活を送っていた。財閥は資本を独占し、庶民との格差は広がりつづけた。人々は既得権益に対する不満を高め、救世主を待望するようになった。
暗い世相と時代の閉塞感の中で、若者たちは煩悶(はんもん)を肥大化させていった。井上日召が苦悩を抱え込んだのは、二十世紀の初頭だった。
--- 中島岳志 『血盟団事件』 から
2018年8月4日土曜日
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