2006年7月9日日曜日

我家の階段

フラワーシスターズがまだまだ幼き頃、我家の階段の手すりは滑り台でした。2階から下りる際、必ず手すりにまたがって滑って降りてきていました。さすがに 今は階段下の手すりの脇には、お客様から譲り受けた年代ものの足踏みオルガンがあるし、それに彼女達もそれなりに年齢を重ねたのでそういう事はしなくなり ました。それでも長年、彼女達のズボンやスカートで拭き掃除をしていてくれたためか、今でも我家の階段の手すりはテカテカ光っています。 考えてみると、我家の階段の利用頻度はかなり高いのですが、その割には階段君には優しくありません。せめてせっせとこまめに拭き掃除などして、足を下ろす ところもテカテカにしてあげなくては・・・。と、階段の拭き掃除をしていて思うのでした。

小学生の時、3階建て鉄筋校舎の脇には、まだ現役の木造校舎があって、正門はその校舎の真ん中から入るようになっていました。その脇には、木立、そしてお 決まりの二宮尊徳の像がありました。もう何十年と我が母校には訪れていませんが、最後に訪れた時には、そこにはもう木造校舎はありませんでした。3階建て 鉄筋校舎だけがあり、木造校舎の脇にあるからこそさまになっていた二宮さんの像だけは元の位置にありました。 今では考えられないほど子供が沢山いました。今の新得小学校の一学年で一クラスか二クラスなどから想像もできません。 本校だけでは入りきれず、数百m先にボロボロな分校がありました。2年生の時その校舎に1年間移りました。トイレの汚さにヘキヘキした事を今でも忘れられ ません。結局分校だけでも足りず、本校の運動場の脇にプレハブ校舎が建ちました。 木造校舎は時に床が抜けました。だから先生は「廊下を走るな!」と、怒鳴っていたのかもしれません。木造校舎は2階建て、その階段の手すりは我家と同じよ うにテカテカ光っていました。 お客様の坂東さんが高橋義博氏との共書を出版されました。   「我が心の木造校舎」 ちなみに我が母校は大阪の とある市立小学校なので、ここにはありません。そういえば思い出しました。同窓会しているのでしょうか?  もちろん行方知れずの私のところにはお誘いはありませんが・・・。


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