2010年4月18日日曜日

思い出としてのスキー

20数年前。
縁あって、ニセコのお宿でお手伝いをすることになりました。
今思うと、多分その1年間で、私にとっては一生分のスキーをしました。

どちらかと言えば興味のないスキーでしたが、しかし今でも北海道のそれもニセコの冬の娯楽の中心はスキーです。宿の関係者がスキーの話も、ましてや滑れないのは困る訳で、あいた時間は『昼寝ばかりしてないで、スキーぐらいしたら』と言われて、宿の好意で、あるスキー場の年間パスを渡されました。

スキーといえば確かその一年前に友人に連れられてしたのが初めてでした。雪国育ちでない私には縁のない娯楽でした。その時の興味の対象は自転車でした。

バブル経済真っ盛り、毎年新しいスキー関係の商品が売り出され、多くのスキーヤーが流行を追っていました。スキー場は、今と比べ物にならないくらいカラフルでした。全てが、お下がりや借り物の私でしたので、反対に、目立ったかもしれません。

友人の午前中の講習?の後、午後からコブ斜面に連れていかれました。
『じゃ、後は教えたとおりすれば大丈夫』などと、やっとこさ出来るか出来ないかの停め方とボ-ゲンの私を置いて、友人は滑って行きました。

滑り出してすぐに、態勢もなく20数メートルほど、私の意思とは関係なく滑っていきました。気が付いたら、板もストックも、ゴーグルもどこかに行ってしまって、途方に暮れる雪まみれの私を、親切なスキーヤー達が持ってきてくれました。今思うと、リフトの乗り方も解っていなくて、リフト乗り場の方にかなり迷惑をかけました。それでも、貧乏性の私は、せっかくここまで来たのだからと性懲りもなく、そのコブ斜面を数回滑ったのですが、結局、まともに滑れませんでした。私のスキーデビューでした。
そして、その次の年、結局100日以上行くことになるのですが・・・。

今思うと、スキー場の思い出は、その初めて行った時の記憶が大きくて、ニセコという大スキー場にも関わらずその他の、記憶があまりありません。

それよりも、そんなスキー場を離れて、仲間や宿で知り合ったお客様といった五色温泉までのスキー(郵便局の配達の方が長靴スキーで配達していたのですが、今では冬季通行止めではないようなので、そんなことはしないのかもしれない)や、オーナーらといった、昆布岳へのスキーの記憶が鮮明です。
下手くそな私でしたので、穴ぼこだらけのシュプールが残りましたが、林の中のフカフカな雪の感触は最高でした。やっぱり、こけると、頭の先まで痛みの走るバーンで滑るのは、練習する時だけで良いです。

(気が向いたら続く)

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