2011年4月8日金曜日

伊丹万作の言葉

卒業シーズンだった3月。
武田鉄矢が歌う「贈る言葉」がAMラジオから流れてくる。

美しい言葉を連ねた歌詞にはもう感動できない年齢になってしまったのか、伊丹万作の言葉が頭を巡る今日この頃です。

『だまされるものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。』 (伊丹万作)


そして、弱者が声を出しはじめた。が、次に来るのが、これかもしれない。

『この社会では「かわいそうな弱者」がじっと耐えている間は、大衆は涙を流して同情してくれる。だが、ひとたび弱者が声を上げ、政治や加害企業などに異論を唱え始めると、一転して「権利ばかり主張する」とか「感謝が足りない」とかいった激しい非難をぶつけてくる』(辛淑玉)

そうならない事を望みたいのだが。

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