2020年1月12日日曜日

老いの生き方

老年は石だ。ぞうり虫だ。いなくてもいいものだ。舞台から下りようとして、とまどって、まごまごしているだけの人間だ。だが、それだけのことで、その他の点では、諸君とおんなじなのだ。なに一つ成長したわけでもないのに、うかうかとつれてこられて、いわゆる年よりがいのない連中が大方なのだ。彼らがうるさいのは、不平のもってゆきどころがないからだ。そして、本心は、若くなりたいのだ。(金子光晴)

われわれは気むずかしさや目の前にある物事に対する険悪を知恵と呼ぶ。けれども、実を言うと、われわれは不徳を捨て去ったのではなくて、別な不徳と、しかも私の考えでは、もっと悪い不徳と取り替えている。愚かな倒れかかった自尊心や、飽き飽きするおしゃべりや、とげとげしい人づきの悪い気分や、迷信や、使いもしないお金に対する滑稽なほどの心配などのほかに、羨望や、不平や、邪悪までがいっそうひどさを増しているのである。老年はわれわれの顔よりも心に多く皺を刻む。だから、年老いても、酸っぱい、かび臭い匂いのしない心というものはめったにないし、あるとしてもごくまれである。人間は成長に向かっても、減退に向かっても全身で進む。(モンテーニュ)

ーーー 鶴見俊輔 『老いの生き方』 から

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