2021年10月16日土曜日

どうなるんだろう

威嚇するように「愛国」を叫ぶ人たち
ほんとうに自分の国を想えるのであれば
同じぐらい隣の国も大切に想えるはず
(「ヘイトスピーチ」から)

大事な年金が詐欺ファンドに投資されようが
国の借金が世界ダントツになろうが
電磁波づけにされようが
おバカな大臣が続出しようが
どうでもいいや の48%が
「打つ手なし」の原発事故を再発させて
今度こそ国を 世界を
滅亡させるかもしれないのに・・・
(「48%」から)

青森県六ケ所村再処理工場が
稼働し始めると
海や空に原発1年分の放射能を
1日で放出するだけでなく
そして
工場周辺で小児白血病が
多発するだけでなく
工場のコスト総額19兆円以上使って
長崎型原発1000発分のプルトニウムを
1年間で生産することになる
(「『六ケ所村再処理工場』を検索」から)

生物種の絶滅のスピードは
1万年前・・・100年で1種
1000年前・・・10年で1種
100年前・・・1年で1種
現在・・・1日で100種
この地球の悲鳴を
我がこととして考えられる
人間は
私たちの国では
1%もいない
(「1%」から)

 ‐‐‐  財津昌樹 「言いたいことをいってしまう。と、どうなるんだろう」

2021年10月11日月曜日

知らんがな

 意見を恐れる日本人がいる。無関心な人たちに気づかれることを恐れている。「民主主義」なんてかっこいいことを言っているが、「無関心主義」のおかげで成り立っている国だ。
 無関心とは「犠牲」を見ないことだ。誰かを下敷きにして、僕らはその上に座っているという現実に目を向けないから、僕は漫才を使い、そこに目を向けさせる。


 そもそも普段から政治や社会のことを話し、議論して、その意思表示として選挙に行くのに、普段からその話をタブーにして議論もせず、選挙なんかに行って、誰を選ぶというんだろう。ただの大人の証明くらいの感じで行っているだけだろうと思っている。
 大人なら選挙に関心を持て、投票に行け、と責任を求めるなら、同じように「在日朝鮮人に関心を持て、沖縄の辺野古に関心を持て、原発に関心を持て、僕たちの社会だぞ」と言える。


 お前が誰かを風景にするということは、お前を誰かに風景にされるということだ。風景にしていいということは、自分の悲劇も風景にされるということになる。
 風景にしていいというルールは、すべてが自己責任になる。「知らんがな、お前のことだろう」は、お前が困っているときも「知らんがな、お前のことだろう」になる。


--- 村本大輔 「おれは無関心なあなたを傷つけたい」


2021年9月15日水曜日

生き残り

公共事業には地方がやる公共事業と、国が予算の金額を出す公共事業(直轄事業)とがあるが、地方の公共事業もその内容にはほとんど中央省庁が決めている。地方が単独で事業を行う力は自治体に残っていないので、地方もそれに従う。事実上、地方負担分には国の裏補助もつく。だからすべての公共事業は事実上、国がやっているといっていい。


日本の地方は、農業も漁業も商業も自律的活力を失っている。あらゆる営みを中央省庁に管理され続けたからである。補助金の注入がなければ生きていけないように仕組まれているのが地方経済である。地方で補助金と無縁に生活できる職業は郵便局、電話局、市役所の三つに、あとは学校と商店の店員しかいない。


どうしても、特殊法人という行政機関を作りたいのであれば、国家行政組織法を改正して、特殊法人というカテゴリーを明記しなければ法体系上、整合性がとれないし、適法性も保てない。しかし、それができなかったのは、行政の仕事でないこと(収益・投資活動)をやる団体を行政機関とすることは、法の建て前上、許されなかったからだ(憲法第七章)。それで、やむを得ず、法の孤島=「設置法」でごまかしたのである。


現在、官公庁出身者が理事に入っている公益法人は8060法人で、子会社を持つものは1850法人ある。ちなみに、子会社の数は約7000社である。官公庁出身者が常勤理事を務めている公益法人の数は3800で、官公庁出身常勤理事は5100人もいる。また公益法人に対して支払われている年間の補助金、委託費は国が4500億円、地方が7500億円で、補助金、委託費を受けている公益法人は約8000法人である。


わが国の国家予算の規模は一般に信じられている85兆円(平成12年度)ではなく、実際には財政運営の主体となっている特別会計を軸とした260兆円である。税収(47兆円)に照らして、国の予算がこのように異常な規模になった大きな要因は、郵貯(総額255兆円)、年金積立金(総額140兆円)、簡保(総額110兆円)などから特別会計で借金をし、事業予算に充(あ)てる仕組みだ。

 
   ---  石井紘基 『日本が自滅する日』 2002.1.23


2021年8月15日日曜日

その文化生活を問い直す

 だいたい電力が足りないから原子力発電所をつくるのだろうという発想が、そもそも間違っているんですよ・・・たとえば自動車メーカーが自動車をつくるのは、大衆が自動車を欲しているからですか。違うでしょう。自動車を売るために無理やりに購買力を煽り立てる。自動車道路をつくる。都市や生活の様式を自動車なしではやっていけないようにつくり変える。それが連中のやり口じゃないですか。必要だから自動車をつくって売るのではなく、売るために必要な状況をデッチ上げるんだ。(相沢広介 日銀記者クラブのキャップ)


私は火電建設反対運動の中で、もうこれ以上の電力は要らぬのだと主張し続けてきた。電力が足りないのだからといって造られる発電所が、さらに新たな電力需要を刺激するのであってみれば、これはもうとめどない増殖というほかない。その結果が、環境破壊であり石油乱費であり文化の不健康化である。されば、電力が足りないからといって発電所を造るのではなく、むしろ生活の方を変えるべきではないか。不便な生活に後退してもいいから、基本的な自然環境を譲りたいと私は考える。<松下竜一 暗闇の思想>


伊方町に行けば、堂々たる公民館、診療所、消防団格納庫、学校のナイター設備等々が立ち並び、いずれの建物にもこれが電源立地協力費によって建てられた旨を示す額が掲げられている。この盛り沢山の報酬を住民は絶えず意識せよとでもいったふうに。確かにこれは報酬である。原発という恐怖の報酬である。もし、政治というものがまことの姿勢を持つものであるなら、これらの建物は恐怖の報酬としてではなく、むしろこのような辺境地帯への政治の厚さとして、なんの代償もなしに与えられるべきはずのものではないのか。


--- 松下竜一 『平和・反原発の方向』 2009.6.17




2021年6月29日火曜日

少しの想像力

放射能汚染が拡大すれば、首都圏にいるひとたちもいずれ覚悟を決めなければならないことであった。配給の食事を何でも食べられること、体育館の硬い床の上でも眠れること、苛立ちや怒号がともすれば衝突するその場所で事件が起こらないよう心を配ること。じっさい、原発事故周辺地に住むひとたちは、生活の場を奪われ、職業を奪われ、自治体までも奪われた。そして少し想像力を働かせれば、それは全国で稼働する原発の周辺でも起こりうることだとわかる。

---  鷲田清一 『しんがりの思想』