2007年3月22日木曜日

山崎 要

魚をとる権利は、それで生活を支えている漁民に確かにあるのかもしれない。であるなら、その権利の裏側には、みんなが毎年食べられるように、上手にとることが義務として伴うはずだ。

古い汚れた木造の畜舎、崩れかかったサイロを見たら、そんな酪農家は、どうにか持ち堪えていると思うべきだ。立派な畜舎に林立するサイロの典型的な牧歌風景を見たら、そこは億単位の借金を抱え、日常の生活費も組合の管理のもとに置かれていると見るべきだ。

NHK の報道は一見、報道の不偏性とかいう公平観が漂うから不思議だ。しかし農村や農業問題を語るとき、決定的に何かが欠けている。欠けているのは、弱者の前に 立ちはだかり強者のおごりをいさめる批判精神なのかもしれない。正義感の欠落であり、優しさの欠落なのかもしれない。

都会で出した廃棄物は、その都会で処理すればいいんだ。そうしたら、都会の人達は、自分達が、いかに得手勝手だとわかるから・・・

コメの生産を、経済効率を最重点に考える工業と同じ尺度で見ると、日本はアメリカとは比較にならない。しかし工業の行く先は、かならず地球の破壊につながるといっても過言ではない。アメリカの農畜産物の生産は、その方向に進んでいる。
安ければ国土はどうなってもよいのか。

- 農林漁業を潰したのはだれだ  から  発行1992.10.15 -

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