2015年1月13日火曜日

想像力

最悪の事態とは次のようなものを言うのではないだろうか。それは父祖たちが何代にもわたって暮しつづけ、自分もまた生まれたこのかたなじんできた風土、習俗、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみで置き去りにすることを強制され、そのために失職し、たとえば、十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長期間にわたって、自分のものでありながらそこで生活することはもとより、立ち入ることさえ許されず、強制移住させられた他郷で、収入のみちがないまま不如意をかこち、場合によっては一家離散のうきめを味わうはめになる。たぶん、その間に、ふとどきな者たちが警備の隙をついて空き家に侵入し家財を略奪しつくすであろう。このような事態が10万人、20万人の身にふりかかってその生活が破壊される。このことを私は最悪の事態と考えたいのである。(1994.9.10)

プルサーマル化しようとしている第一原発三号炉には、1978年に臨界事故を起こしながら、東電はそれをひた隠しに隠し、公表したのはなんと二十九年後の2007年だったという前科がある。(2010.7.1)

第二次世界大戦で戦争という麻薬の中毒患者になったアメリカにいまだ≪戦後≫が存在しないように、原発というドラッグに冒された立地地域では、二重の意味で≪原発以後≫なしという状況が形成されつつある。ひとつめの意味は、つぎつぎと原発を増設しなければ地域経済を維持できない泥沼にはまり込んでいるということ、もうひとつの意味は、原発破綻後には地域そのものが存在し得ない状況が出来(しゅつたい)するだろうということ、である。(2010.7.1)


   --- 若松丈太郎 「福島原発難民」から

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