2015年2月27日金曜日

日本人の宿痾

立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている。といえば聞こえはいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変質させることに他ならない。
 国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常生活に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さ忘れる。日本人の宿痾(しゅくあ)であった。
-歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。

--- 若杉冽 「原発ホワイトアウト」から

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