結局、いつの間にか自分が無知で無関心である間に、この国に36基の原発を許してしまった。それは自分の頭で考えようとしなかったからだ。専門家に頼ってしまった。専門家に任せていればいい、ということで考えようとしなかった。その結果がこれなんだ。(四国電力伊方原子力発電所の出力調整実験の反対運動をするお母さんたちの声) <私の現場主義 から>
あの石油ショックで、何もかも少し暗くしていかねばならなくなった時に、「そんなのはごめんだ。暗いことはごめんだ。貧しいことはごめんだ。不便なことはごめんだ。やっぱり、便利がいいんだ。豊かさがいいんだ。電力はどうしてもいるんだ」という、その選択が我々の側にあったわけです。だからこそ、あの第一次石油ショック、1973年を境として日本の原発攻策が急速度で進んでいくということになってきます。 <暗闇の思想 1991 から>
「電力危機なんか来るなら来てくれ」というふうに居直っていかなければならない。なぜならば、電力危機というのは、我々庶民にとって危機でもなんでもない。それで不便にはなるだろうけれど、貧しくなかもしれないけれど、命を脅かされるわけではない。電力危機というのは、実はそれを盛んに言い立てる側にとっての危機なんだ、ということを我々は見抜かねばならない。 <暗闇の思想 1991 から>
--- 『暗闇に耐える思想 松下竜一 講演録』から
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