2016年4月1日金曜日

衰退するジャーナリズム

日本国憲法は、非常に貴重なものだと思うのです。なぜかというと、それは人類史上初めて原子爆弾を二発落とされ、連合軍に対して無条件降伏した国がつくった憲法、これはアメリカ人がつくって日本に押し付けたという人がいるけれど、日本人のほとんどは日本国憲法を納得して受け入れたわけです。そうすると、誰がつくったということはそれほど問題ではなく、納得した以上、日本の憲法なわけです。特に第九条-前文もそうですけど、第九条は日本が世界に誇れるものの一つです。なぜかというと、(平和は)人類の究極の目標だからです。それを捨てるって、そんな馬鹿なことはと僕は思うわけで、心から憲法改正に反対なのです(久米宏)

今の憲法は天然記念物といったら言い方は変ですけど、世界史的にみて意味がある憲法だと信じているのです。それに手を加えるということは、絶対に許されないと思っているのです。(久米宏)

客観報道がどれほど重要であっても、それが大衆の意見代弁や権力の監視といったジャーナリズムとしての社会的使命を果たさないのなら、それは無意味というしかない。そのように考えると、テレビのキャスターは、自身の個人的見解を披瀝(ひれき)するだけではなく、またアナウンサーのように用意されたニュース原稿を読み上げるだけでもなく、”ニュースを自身の言葉で客観的に語る”ということになるのかもしれない。言葉を代えれば、主体的な客観報道と形容できるのである。

--- 福永勝也 『衰退するジャーナリズム』 から

0 件のコメント:

コメントを投稿