2018年10月29日月曜日

敗戦によって自分たちは

敗戦によって自分たちの生活はずいぶん変わったけれども、ものの考えかたの方式は、すこしも変わっていなかったのだ、ということである。つまり、戦争中は、戦争に協力せよと言われたからそれに従い、同じように、戦争が終わってからは、こんどはデモクラシーを学べと言われてそれに従っていたにすぎなかったのだ。



戦争が終わって、学徒動員で働いていた工場から、はじめて学校へ帰ったとき、まず先生に言われたことを忘れない。
「これからの日本は自由主義になるのですが、自由と放縦(ほうじゅう)とは違うのですから、けっしてはき違えることのないように」
 その時点での先生の老婆心はわからないではないし、げんに今でも、この論法で若者をいましめる人が多い。しかし、世界じゅうの人びとが、あたまの血を流してまで求めつづけた「自由」の重みを「放縦」という卑小なイメージとセットになったものとしてしかうけとめえない人の多かったことは、その後の日本の不幸にも、大きくかかわっているのではあるまいか。

  --- 杉みき子 『がんぎの町から』 から

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