学びの学校づくり 愛知県犬山市立犬山北小 編 から
子どものあるべき姿は、それをめざす子どもたちに考え出させるのがよい。どんなに立派な「子ども像」であっても。教師が考えたものであれば、子どもにはその存在が遠い。
学 校は、もともと子どもの願いや思いを叶えられない場所である。学校行事などを計画し、あたかも子どもの夢を実現させているかのように錯覚している。日常の 学校生活を見ると、安全管理を優先するあまり、子どもたちの自由な発想を拘束している。このことを一番知っているのは子供たちだ。
私は、 子ども像に次のような思いを込めている。大人の常識から足を踏み出さないことが、あたかも安定した人生を歩めるのだという錯覚に惑わされないこと。少しで も親を乗り越えてこそ人類が栄えることを認識し、新しい分野や困難な道に挑戦してもらいたい。また、人に対する優しさや親切心をもつことは、自己の人間形 成に思いやりの心として影響を与えることを知り、厳しい人間社会を生きぬく術を身につけてもらいたい。 -- 校長 加地 健 から
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B君のお母さんも、「確かにこれまでの通知表は、成績のよい教科かよくない教科かがわかるけれど、どこをどうすればよくなるのか、何が足りないのか、どこをどうやって直せばよいのかわからないですよね。」 -- 1年生の授業 から
保 護者の中には学業成績に目がいき、「勉強しなさい」と言うことがあっても、「手伝いをしなさい」と言う人は少ない。テストの点数に気を配ることも必要だ が、私は、気持ちのよい挨拶や、「ありがとう」「ごめんなさい」「遊ぼ」というような言葉で気持ちを伝え、人とうまく関わりながら学校生活を送っているか 否かということのほうが重要だと思っている。社会で自立して生きるということは、人と関わっていくことだからである。 -- 特別支援教育は出会いから から
大人になって社会に出たとき、一番必要なのは「生きる力」。
人には自分と違う感情があること。
失敗してもやり直しができること。
一つのことにこだわることは悪いことではないこと。
気持ちを言葉で伝えられると生活しやすくなること。
感情をコントロールできるようになること。
ルールがあると便利なこと。
知らないことを知るのは楽しいということ。 -- 不登校だった息子が教えてくれたこと から
「参 加させられる」北小の保護者は、はじめは半強制的に学校活動に参加させられる。しかし「参加させられる」が続くと、学校に行くことが習慣となり、当たり前 となる。自然に能動的に学校活動に参加するようになる。保護者が学校に行くことに抵抗がなくなり、いつでも気軽に子どもたちの真の学びの姿を見られるよう になるのである。何よりも保護者が。北小の一員として学校に愛着を持てるようになる。これこそ当たり前のすごさである。 -- 学校は教師と保護者の両 輪 から
昔の風景は、先生もよくご存じだと思いますが「これわかりますか」と言って教師が難しい問題を出しますね。だれも手を挙げない。一人だけ手を挙げる。
(略)
家 へ帰れば、よくやったとご褒美を渡す。学び合いの教育では、もしそういうことをやったら、叱りなさいと僕は言っています。あなたは困っている子がこんなに 全部いるのに、一人だけいい子ぶって手を挙げるのか。困っている子が二十人いたら、二十人に教えてやることがあなたの務めだよと。これを学び合いの授業の 風景の中で親に学んでほしい。親自身も困ったら、一人で考えるんじゃなくて、先輩の・・・。 -- 学校はここまで変わる 尾木 直樹/加地 健
2008年4月6日日曜日
人にシッポがあったら
さすがの私も、はじめ見たときは言葉を失った。まるで廃屋、地震でもないのに身体が傾く。床が抜けているのだ。旅先で知り合った同じサイクリストの彼は、信じられない様子。
彼は私に騙されて?沖縄に入る前についてきたのだ。しかし、すぐその空間にも慣れた。
もう一昔以上前の話。今は知らない。
鹿児島県の最南端の島沖永良部島はほとんど平坦な島。そこにあるユースホステルで1週間、ただ青い海だけ見て過ごした。
何も無かった。でも時間だけは充分あった。
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ある晩、サイクリストの彼が「今でも人にシッポがあったら面白いやろうなあ。」と、言い出した。
何を言い出すんや?と思ったものの、結局その話でペアレントさんと3人で夜遅くまで話をした。 (悲しいかな、もうかなり前のことで詳しい内容が思い出せない。)
次の日の朝、テーブルに紙切れが置いてあって、そこに、昨晩の話のことが書かれてあった。 国語の先生になるはずだったペアレントさんの文章だった。
その時、話すことも書くことも苦手だった私は、どうすればあんな風に文章が書ける様になるのか尋ねてみると、 「目の前に映る状態をそのまま書く練習をしてごらん。」と言われたのだが・・・。
そして練習をしない私は、未だにあの時の文章に近づけないでいる。
あの紙切れもって帰ってくればよかったなあ。
あのペアレントさん元気しているだろうか・・・。
彼は私に騙されて?沖縄に入る前についてきたのだ。しかし、すぐその空間にも慣れた。
もう一昔以上前の話。今は知らない。
鹿児島県の最南端の島沖永良部島はほとんど平坦な島。そこにあるユースホステルで1週間、ただ青い海だけ見て過ごした。
何も無かった。でも時間だけは充分あった。
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ある晩、サイクリストの彼が「今でも人にシッポがあったら面白いやろうなあ。」と、言い出した。
何を言い出すんや?と思ったものの、結局その話でペアレントさんと3人で夜遅くまで話をした。 (悲しいかな、もうかなり前のことで詳しい内容が思い出せない。)
次の日の朝、テーブルに紙切れが置いてあって、そこに、昨晩の話のことが書かれてあった。 国語の先生になるはずだったペアレントさんの文章だった。
その時、話すことも書くことも苦手だった私は、どうすればあんな風に文章が書ける様になるのか尋ねてみると、 「目の前に映る状態をそのまま書く練習をしてごらん。」と言われたのだが・・・。
そして練習をしない私は、未だにあの時の文章に近づけないでいる。
あの紙切れもって帰ってくればよかったなあ。
あのペアレントさん元気しているだろうか・・・。
2008年3月22日土曜日
2008年3月15日土曜日
10円禿のできた新得神社山
3月14日の北海道新聞十勝版の議会だよりのコーナーに「エコタウンづくりへ 庁内組織立ち上げ」という小さな記事を見つけました。 さっぱり意味がわからないのだけれど、二酸化炭素排出削減などを進める・・・云々とあるので、何やら洞爺湖サミットを意識したのでしょうか?その日の新聞には、店の宣伝などの折込チラシに混じって、写真のようなチラシがはさまれていました。
そして今日 3月15日、新得神社山には十円禿ができていました。
保安林地区であるらしいので、この伐採を許可したのは北海道であり、新得町です。
危ない桜の老木を切って、寄付で集めたお金で桜の苗木を植える。ちょっと寄付が集まり過ぎたの分は、回りの大木も切ってスペースを確保。 そうかこれが新得町が目指すエコタウンづくりの第一歩なんですね。
折りしもその日は新得中学校の卒業式。これはまるで卒業記念樹?
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3月15日、北海道新聞十勝版には、「新得山 自然林伐採は疑問」と、大きなスペースで記事が掲載されていました。多分、3月14日に、様子が変わったのですね。
チラシの主は、「新得おもしろ調査隊」でした。 新得山をフィールドとして色々な調査し、以前には新得山にある花を調べた「花の道しるべ」が発行されています。
十勝めーる [ 新得めーる ] 2007年4月18日の記事には以前のような桜の山を夢見て活動している方々のことが掲載されています。
でも「悲願桜」を植えた伊藤傳五郎さんは、まだまだ元気な大木を伐採してまでもの植樹を喜んでいるのだろうか。
林野庁
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