2008年4月18日金曜日

学びの学校づくり

学びの学校づくり 愛知県犬山市立犬山北小 編 から

子どものあるべき姿は、それをめざす子どもたちに考え出させるのがよい。どんなに立派な「子ども像」であっても。教師が考えたものであれば、子どもにはその存在が遠い。

学 校は、もともと子どもの願いや思いを叶えられない場所である。学校行事などを計画し、あたかも子どもの夢を実現させているかのように錯覚している。日常の 学校生活を見ると、安全管理を優先するあまり、子どもたちの自由な発想を拘束している。このことを一番知っているのは子供たちだ。

私は、 子ども像に次のような思いを込めている。大人の常識から足を踏み出さないことが、あたかも安定した人生を歩めるのだという錯覚に惑わされないこと。少しで も親を乗り越えてこそ人類が栄えることを認識し、新しい分野や困難な道に挑戦してもらいたい。また、人に対する優しさや親切心をもつことは、自己の人間形 成に思いやりの心として影響を与えることを知り、厳しい人間社会を生きぬく術を身につけてもらいたい。 -- 校長 加地 健 から

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B君のお母さんも、「確かにこれまでの通知表は、成績のよい教科かよくない教科かがわかるけれど、どこをどうすればよくなるのか、何が足りないのか、どこをどうやって直せばよいのかわからないですよね。」  -- 1年生の授業 から


保 護者の中には学業成績に目がいき、「勉強しなさい」と言うことがあっても、「手伝いをしなさい」と言う人は少ない。テストの点数に気を配ることも必要だ が、私は、気持ちのよい挨拶や、「ありがとう」「ごめんなさい」「遊ぼ」というような言葉で気持ちを伝え、人とうまく関わりながら学校生活を送っているか 否かということのほうが重要だと思っている。社会で自立して生きるということは、人と関わっていくことだからである。  -- 特別支援教育は出会いから  から


大人になって社会に出たとき、一番必要なのは「生きる力」。
人には自分と違う感情があること。
失敗してもやり直しができること。
一つのことにこだわることは悪いことではないこと。
気持ちを言葉で伝えられると生活しやすくなること。
感情をコントロールできるようになること。
ルールがあると便利なこと。
知らないことを知るのは楽しいということ。  -- 不登校だった息子が教えてくれたこと から


「参 加させられる」北小の保護者は、はじめは半強制的に学校活動に参加させられる。しかし「参加させられる」が続くと、学校に行くことが習慣となり、当たり前 となる。自然に能動的に学校活動に参加するようになる。保護者が学校に行くことに抵抗がなくなり、いつでも気軽に子どもたちの真の学びの姿を見られるよう になるのである。何よりも保護者が。北小の一員として学校に愛着を持てるようになる。これこそ当たり前のすごさである。  -- 学校は教師と保護者の両 輪 から


昔の風景は、先生もよくご存じだと思いますが「これわかりますか」と言って教師が難しい問題を出しますね。だれも手を挙げない。一人だけ手を挙げる。
(略)
家 へ帰れば、よくやったとご褒美を渡す。学び合いの教育では、もしそういうことをやったら、叱りなさいと僕は言っています。あなたは困っている子がこんなに 全部いるのに、一人だけいい子ぶって手を挙げるのか。困っている子が二十人いたら、二十人に教えてやることがあなたの務めだよと。これを学び合いの授業の 風景の中で親に学んでほしい。親自身も困ったら、一人で考えるんじゃなくて、先輩の・・・。   --  学校はここまで変わる 尾木 直樹/加地 健

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