2008年4月18日金曜日

杉 みき子

理想社会現実のためにつき進んでゆこうという充足感はもちろんあったにちがいないが、それとともに、無意識にもせよ、そのためには何をしても許されるとい う、危険な自信も胸にきざしていたのではあるまいか。高いところから下界を見おろすという行為は、時として、人を自ら神と思いあやまらせるおそれをはらん でいる。
   --金谷山頂にて    (赤井景韶 あかいかげあき) から

生活が便利になるのは、もちろん歓迎すべきことで、ことに雪害をふせぐ面では、もっと便利になってほしいこともたくさんある。しかし、いまよりずっと不自由だった時代の人びとの心にあった大らかさを、それとひきかえに失ってしまうのはなんとしても惜しい。
   --友あり 遠方よりきたる  から

敗 戦によって自分たちの生活はずいぶん変わったけれども、ものの考えかたの方式は、すこしも変わったいなかったのだ、ということである。つまり、戦時中は、 戦争に協力せよと言われたからそれに従い、おなじように、戦争が終わってからは、こんどはデモクラシーを学べと言われてそれに従っていたにすぎなかったの だ。
   --遠い山に日があたる  から

雪おろしは厄介な仕事ではあるけれど、ひと冬に一度ぐらいは、屋根にあがるのもわるく ないと思う。すこし大げさかもしれないけれど、人間の手でなければできない仕事が、この地上にまだのこされているのはありがたい。そして、ほんのスコップ 1ぱいぶんずつの雪を根気よく投げ捨てつづけることによって、あのぼう大な量の屋根雪がついになくなってしまうのをこの手でたしかめることは、人間の力に 対するささやかな信頼と勇気を、私の心に新しくよみがえらせてくれるのである。
   --雪おろし  から

やはり住宅というもの は、そこに住むに人間があってこその存在であり、その家の表情や魂は、あくまで住人との合作によって生きつづけるものであろう。人間はたえず変わってゆ き、人間が住んでいる間は、家もそれ応じて変わってゆく。人間がイチヌケタとばかり飛び出してしまったあとは、家はひとりで変わることができない。いつま でも、住み手に見はなされた時点のままで、ほろびるまでの年を経る。
   --時を打たない時計  から

塾などわすれて、遊べ遊べ。子どもの声こそ、街が生きているしるしである。
   --引っこしのあと  から

旅 というのはやはり、地上をトコトコ、歩けばいちばんいいのだろうが、そこまでは徹底しなくとも、列車の窓から見える家のつくりや畑の作物のようすが、土地 によってすこしずつ変化してゆく過程を味わい、乗り降りする人たちのお国ことばの移りかわりを楽しみながら、ていねいに移動してこそ、ほんとうに「はるけ くも来つるものかな」という旅の実感がわくのだろう。
   --雲の上のおのぼりさん  から


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