2020年3月24日火曜日

新しい「文明」

新しい「文明」に素早く適応する日本人のお家芸は、同時に私たち日本人が「ふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、幣履を棄つるが如く(へいりをすつるがごとく:破れた履物を捨てるように、何の未練もなく捨て去ることのたとえ。)伝統や古人の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのない」(内田樹『日本辺境論』から) 体質からつくられたものであるかもしれません。
  ---  池田清 『神戸 近代都市の過去・現在・未来』から

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かうを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。(略)こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐(いだ)かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的でもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです。宜しくない。虚偽(きょぎ)でもある。軽薄でもある(夏目漱石)

0 件のコメント:

コメントを投稿