「僕らは自然に対して自分たちの時間を押しつけることに慣れており、その逆は晴れていない。だから流行があと一週間で終息し、日常が戻ってくることを要求する。要求しながら、かくあれかしと願う。
でも、感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ。」
「今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えがほしかったのに、雑多な意見しか見つからなかったからだ。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理に増して聖なるものなのだ。」
「今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉遊びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいにして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。」
「でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを、長年にわたるあらゆる権威の剥奪により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。」
「もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。
支配階級は肩を叩きあって、お互い見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようなものであり、また忘却の始まりでもある。
もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。」
--- パオロ・ジョルダーノ 『コロナの時代の僕ら (飯田亮介訳)』
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