2020年5月27日水曜日

同じくらいに不満足な解

公人は「私は中立です」と宣言すればそれで済むわけじゃない。だって、中立というような定点は存在しないんだから。中立というのは、「反対者を含めて全体を代表し、敵対者と折り合って統治する」ときに採択される暫定的な足場のことです。定位置ではない。状況が変わるごとに変わる。「私はこの政策に賛成でも反対でもない。どちらでもない」ということが中立だと思っている人がときどきいますけれど、中立であるというのは、そんな知的負荷の少ない仕事ではありません。この人たちの言う「中立」はただ判断を保留しているというだけのことです。(内田樹)

合意形成というのは、みんなが同じくらいに不満足な解を出すことなんです。それが民主主義における「落としどころ」なんです。大岡裁きに「三方一両損」というのがありますけれど、まさにそれなんです。(内田樹)

多数決での賛否には「多数決での賛否」以上の意味はない。どこかで決めなければ仕方ないから、やむなく投票で賛否を問うだけの話で、投票結果が教えるのは有権者はどちらの政策を選好したかだけであって、どちらの政策が正しかったかを判定したわけじゃない。(内田樹)


--- 望月衣塑子 「安倍晋三大研究」

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