2009年4月26日日曜日

こしあんでは駄目だ、つぶあんでないと

だまされるものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。 (伊丹万作


まず、「自己」がなければ責任はとれないんだけれども、日本人は大人になるまで、また大人になっても「自己」を消すことばかり教えられるでしょ。また、「自己」を消そうとする圧力もものすごく強い。(佐高信


この社会では「かわいそうな弱者」がじっと耐えている間は、大衆は涙を流して同情してくれる。
だが、ひとたび弱者が声を上げ、政治や加害企業などに異論を唱え始めると、一転して「権利ばかり主張する」とか「感謝が足りない」とかいった激しい非難をぶつけてくる(辛淑玉


高い給料をもらっているのだから組織のために働くのは当然だろう。しかし、心の中の「私の領域」まで組織に捧げる必要は毛頭ないはずだ。にもかかわらず、身も心もすべてを組織に捧げて、上司の指示に唯々諾々と従う人間のいかに多かったことか。私から見れば、彼らは「私」あるいは「個」の尊厳を守ろうという気概がなく、組織に媚び、へつらうことに疑問すら抱いていない人間たちだった。(魚住昭

   ---  だまされることの責任 佐高信と魚住昭 から


魚住昭 - Wikipedia
辛淑玉 - Wikipedia
伊丹万作- Wikipedia
佐高信- Wikipedia

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